福島県南相馬市桜井前市長の入魂講義

17日の神奈川大学政策過程論は福島県南相馬市の前市長桜井勝延さんがゲストでした。

Zoomでのオンライン参加予定でしたが東京出張が入ったということで急きょ対面となりました。

学生たちは桜井さんの淡々とした語り口のようで随所に情熱がほとばしる講義を聴けました。

桜井さんは3・11の東日本大震災の対応でその勇名をとどろかせた市長です。

原発事故発生で情報が遮断されてしまい南相馬市は孤立状態に陥りました。

ボランティアで市役所に応援に来ていた学生の機転でユーチューブで世界に発信しました。

今は動画投稿サイトの活用は普通ですが11年前に災害時に行った最初の市長だと思います。

全く救援がないことを激しく糾弾する内容で英語に翻訳されて発信されました。

日本のマスコミは一斉に避難してしまい情報を発信する術がなかった時でした。

外国のメディアが続々と取材に訪れててんやわんやの騒動となったとのことです。

桜井さんは当時を振り返り対応策全てに明確な法的根拠があった訳ではないと告白していました。

ひとりでも多くの命を救うために独断で決断せざるを得なかった事には事欠かなったようです。

水道の水漏れがあっても業者は避難していないので職員自らが対応せざるを得ない状況でした。

原発事故で放射能汚染はなぜ同心円状に広がるか根拠を言えと国や東電に迫ったとのことです。

現在は明らかになっていますが風向きに左右されて同心円で拡散はしないのです。

後に全村避難となった飯館村のように当初は被害が及びなんて予想だにしない地区もありました。

50キロも離れているから安全だと考えるのは致し方なく東電からも避難要請はありませんでした。

桜井さんのお話を聞いていると今でも怒り心頭に発しているような気迫が漂っていました。

桜井さんがことさら残念に感じた出来事がありました。職員が次々と退職したことです。

震災1年で100人を超える早期退職者がありました。桜井さんも忸怩たる思いを抱きました。

住民が困難に直面しているただ中に公務員が職を離れることはショックでした。

桜井さんは公務員は民間企業のような厳しさはないと言い切ってました。

だからこそ使命感に燃えていざという時に貢献するのが公務員の役割だと強調してました。

地方公務員志望の学生も数多くいますので桜井さんの言葉は胸に刺さったことだと思います。

桜井さんは宮沢賢治にあこがれて検事が在世した岩手大学農学部に入学しました。

ロマンチストなんです。しかしひとたびまちづくりの話しとなると火の玉となります。

人が戻らない限り復興はないが持論です。市長の座を離れた後も情熱は衰えていません。