ロシア相手に楽観論はあり得ない!
昨年9月の満州事変から90年の時に朝日新聞に掲載予定だった記事がようやく載りました。
ソビエト(現ロシア)が日ソ中立条約を一方的に破棄し満州国に侵攻したのは1945年8月9日。
侵攻を食い止めようと防戦した挺身大隊長は私の父の露木甚造でした。
アメリカの代表的な軍事学者のアルビン・クックス博士が戦後詳細な調査を行いました。
父ら日本軍関係者36人から証言を得てその録音記録が南カリフォルニア大学に残っていました。
朝日新聞ではこの記録に基づいて旧満州国の当時の情勢やソビエトとの戦闘を記事にしました。
「砂上の国家」というタイトルで朝日新聞のインターネット版で読むことができます。
追い詰められた日本軍は決死隊を組織しました。父の挺身大隊123師団がそうです。
戦闘は8月11日に開始されました。ソビエトには最新式の戦車などの装備があります。
対する日本軍は圧倒的に兵器が不足していてゲリラ戦を展開するしかありませんでした。
爆薬を背負って戦車の下に潜り込み爆発させる戦法でした。戦闘は17日まで続きました。
15日に日本は無条件降伏したのですが最前線の戦地には知らせは届きませんでした。
ソビエト側の記録では戦車は4両破壊。父の部隊は千数百人のほぼ半数が死亡しました。
父は23日に司令部に帰還しました。その後シベリアに抑留、日本への帰国は1950年4月です。
父の決死隊について専門家が「捨てられた部隊」との見方を示していました。
ソビエト軍の侵攻を身を挺して食い止め時間稼ぎをする使命ですので当然です。
ソビエト軍はその決死の姿勢を怖れたたものの日本軍の犠牲はあまりに大きかったです。
この犠牲による最大の教訓はソビエト(現ロシア)相手に楽観論は厳禁だということです。
条約など関係なく目的を遂行するのです。領土を強奪し捕虜をほしいままにするのです。
父が書いた記録の中で平和の尊さを訴えている最後の文章を記事は引用していました。
平和は大切です、でも一方で情け容赦のない戦闘を敢行する国があることも忘れてはなりません。
60万人にも及ぶシベリア抑留は国際法違反の最たるもので言語道断です。
ソビエトは対日参戦の見返りに南樺太や千島列島を略奪しました。北方領土問題の始まりです。
ウクライナへのロシアの軍事侵略により再びこの国の本質があからさまになりました。
ロシアに対して希望的観測を持つほど国の安全を脅かすものはありません。
軍事力への信奉は徹底されていてみじんも揺らがないと見なければなりません。
日本は過去の歴史を直視し甘い幻想に身を委ねることを断じて避けなければなりません。