バルト海と日本
ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に囲まれた内海をバルト海と呼びます。
バルトとはドイツ語で森を意味するとのことです。英語で形容詞にするとはっとします。
バルチックです。日露戦争の時にロシアが極東まで派遣した海軍の艦隊の名前です。
バルチック艦隊はプーチン大統領にとっては思い出したくもない名前のはずです。
日本海海戦で東郷平八郎司令長官率いる日本海軍によって壊滅させられたからです。
今再びバルト海が熱くなり始めています。フィンランドとスウェーデンのNATO加盟です。
地図を見てもらうと一目瞭然ですがロシアはNATO諸国に包囲されることになります。
フィンランド、スウェーデンのNATO加盟がロシアを刺激するのがよく理解できます。
1991年のソビエト連邦の崩壊にともないソビエトから分離独立した3国があります。
バルト3国です。北から順にエストニア、ラトビア、リトアニアです。
高校生の頃覚える順番をどうしたらよいか頭を悩ませたはずです。
反ロシアの国民感情が強くポーランドと並んでウクライナを強く支持してます。
バルト海に面したカリーニングラードというロシアの飛び地があります。
ロシアが陸上から物資を輸送するためにはリトアニアを通過しなければなりません。
リトアニアは物資の輸送を制限すると発表しました。ロシアは報復すると猛反発です。
リトアニアはNATO、EUの加盟国です。西側とロシアの対立の最前線になろうとしています。
バルト海が日本の針路を決定づけた日露戦争と深い因縁があることを書きました。
リトアニアもそうです。前者がいわば栄光の歴史だとすると暗黒時代の歴史のひとコマです。
1939年ナチスドイツのポーランド侵攻で第2次世界大戦が勃発しました。
リトアニアは当時中立国でした。ナチスの迫害を怖れたユダヤ人が殺到しました。
リトアニア駐在の日本領事の杉原千畝は国外脱出を認めるビザを発給したのです。
ビザを受けたユダヤ人はシベリア鉄道を使い日本に渡りそこから世界各国へ散りました。
その数2139人です。日本はナチスドイツと同盟関係だった中での行動でした。
杉原はのちに外交官としてではなく命を救うための決断だったと回想してます。
杉原の生まれ故郷は岐阜県八百津町です。杉原の勇気あふれる行動を讃える記念館があります。
政治記者時代に一度訪れたことがあります。竹下登元総理の同行取材でした。
正確な日時は記憶してません。この時初めて杉原の存在を知りました。
杉原は命令に背いたとして外交官を解任されましたが名誉は確かに刻まれました。