もう一丁・小田原市の加藤前市長の再出馬…ありと見た!

2020年5月までの加藤憲一市政は3期12年でひとまず完了となりました。

コロナ禍に襲われた不運がありましたが選挙に敗れたのはそれだけではありません。

加藤さん自身が神奈川大学の講義で語っていたように数々の業績はありました。

まちづくりの手法として住民参加を体系的に位置づけて計画づくりを進めました。

先駆的な持続可能な都市づくり事業を幅広く住民参加で展開しました。

新たな芸術文化の拠点三の丸ホールの建設や市民の集いの場ウメコを建設しました。

しかし人口減少を止めることはできず20万都市だった小田原市の人口は18万7564人です。

交通利便性を誇る小田原の人口減少は異常です。加藤市政が幕を閉じた根本原因だと思います。

加藤さんも人口急減が市の活力にマイナスの影響を与えることは理解していたはずです。

ただ人口増に向けて積極策の打ち出しが弱かったです。活力の注入が不足しました。

小田原は県西地域の顔です。拠点都市の衰退は県西地域全体を衰退させます。

加藤さんに対抗し市長の座に就いた守屋輝彦市長は加藤市政への反動で成立しました。

しかし守屋市政も地位に就いたものの一気に成果を挙げる状況とはほど遠いです。

加藤さんは12年間の自らの市政の光と影を冷静に見つめ直すことが不可欠です。

そして影の部分を直視して光に換える戦略と戦術を構築できれば市政奪還は可能です。

影の部分でいちばん濃いのは人口減少です。ここに歯止めをかける必要があります。

小田原の場合は山を切り崩して自然破壊したりしなくてもすぐに人口は増えます。

あれだけの交通利便性があって人口を減らしてきたこと自体が間違いだからです。

駅周辺の都市計画を再検討し良好な環境を保ちつつ住宅開発が必要です。

駅に近い少年院の跡地はモデル的な土地開発事業の遂行にうってつけの場所です。

住宅地のみの開発は国が難色を示していると伝えられていますが市長の腕の見せ所です。

もうひとつ競輪場の将来ビジョンはどうなるかです。文教地域に競輪場はどうしても矛盾します。

平塚と統合する方向で多目的な新たなるスポーツ拠点を創るだなど発想の転換が必要です。

eスポーツの開催が可能、ドーム型が望ましいなど未来に向けた建築を平塚市と考えるべきです。

文教施設の競輪場が発展的移転できれば跡地には芸術と文化の新拠点の建設が可能です。

加藤さんにとって最大の試練は時代に即した開発に背を向けないことだと思います。

加藤さんが積極性を身に着けニュー加藤となって市民の前に登場する日を心待ちにしてます。

そうなれば市民の期待感はさらに盛り上がり再登板が現実になると思います。