100歳と93歳の競演
今日は母の誕生日です。100歳になりました。おかげさまで元気です。
誕生会は母が仲人をした皆さんに集まっていただき先月お祝いの会をしました。
新進気鋭の画家の安藤ニキさんに記念の肖像画を描いていただきました。
下絵になったのはひ孫を抱いている時の写真です。7年前ですので93歳の時です。
母は、洗濯物を干していて尻もちをついて腰の骨を骨折してしまいました。
離れでひとりで住み身の回りのことは全て自分で行っていましたができなくなりました。
幸い自宅からほど近くにある小さな介護施設に入所することができました。
自宅は古い家で段差だらけです。身近に介護施設があることは大変助かります。
痛みが取れた後本人の強い意志でリハビリをして歩けるようになりました。
現在は移動は車いすです。つかまって立ち上がることは何とかできます。
母から妻に拡大鏡を持ってきてくれと要請がありました。文字が見にくくなったというのです。
ぴんときました。私が死んだ父のことが掲載された新聞記事を届けたからです。
第2次大戦末期に旧満州でソビエト軍と激闘を繰り広げた父の記事が先月朝日新聞に載りました。
デジタル版のみの配信でした。コピーして母の介護施設に届けました。
母は新聞を読むのが日課でしたので目を凝らして読んだのだと思います。
読みにくかったので拡大鏡をとなったのだと思いました。頭はしっかりしています。
昨日93歳になる杉田廣善さんの千葉県北柏のご自宅を訪ねお中元を届けました。
小田急線代々木上原で常磐線の直通電車に乗り継ぎ片道2時間半かかります。
杉田さんのことは何度も紹介してます。「新しい道」という人生の生き方を語り続けています。
杉田さんも大腿骨を骨折し手術を受けた後、自宅内を車いすで生活してます。
歩くリハビリを実践中です。手すりを使い徐々に歩けるようになったということです。
前日の夜本を読んでいて気づいたら朝3時になっていたと言われてました。
どんな本が好きなのですかと伺いました。「万葉集がいちばんですね。」との返事でした。
外国の影響がない日本古来の言葉のリズムが心に響くというのです。
日本人本来の生き方を取り戻すことによってしか日本再生はないが杉田さんの持論です。
杉田さんらしい読書の選択だと納得した次第ですがたまげたというのが本音です。
自らのうちに全てを支配する天の分身がいると確信を持つことが大切だと言われてました。
その分身と常に対話することができるまで待てば自ずと道は開けるというのです。
貴重なお話を2時間半たっぷり聞かせていただきました。言い淀むことは皆無です。