安倍元総理国葬決断のその後

22日の閣議で安倍元総理の国葬が9月27日に武道館で行われることが決まりました。

既に書いたように優柔不断と見られていた岸田総理が即断即決しました。

”天の声”が下りたとしか思えない大変身です。違和感が拭えません。

23日の朝日新聞のデジタル版に国葬決定の背景を探る記事が掲載されていました。

「即位礼正殿の儀」などと同じ政府単独による国の儀式として位置づけたということです。

こうした方式ならば「閣議決定を根拠に国葬も可能」と判断したと書かれていました。

「即位礼正殿の儀」とは天皇に関わる行事です。安倍元総理は天皇に準じることになります。

国葬となれば諸外国から賓客が訪れ弔問外交が可能との判断もあったと書かれています。

自民党保守派は国葬を求めていたので岸田総理の決断を当然歓迎します。

岸田総理は保守派からの支持を得ることで政権運営基盤を強化することにつながります。

岸田総理は暴力による言論封殺に屈しない民主義国としての立ち位置を強調してます。

そうであるならばなぜ民主主義的な政策決定プロセスを取れなかったのか首を傾げます。

立場の異なる政党の意見も聞くのは民主主義のイロハのイではないでしょうか。

野党の中で政府・与党に一番近い立場の維新の松井代表ですらなし崩し的決定と批判してます。

岸田総理の通常の決定スタイルと距離があります。不思議でなりません。

国会での安倍元総理に対する追悼演説は自民党の甘利前幹事長に決まりました。

安倍元総理の政治家としての歩みを象徴する人選だと思いました。

慣例ならば野党の党首級の方の出番です。適任者がいないのです。

政治的立ち位置は異なっても双方の人格を認め合う関係は野党議員と結べていないのです。

与党にとっては頼りがいがあり野党にとっては敵対者であったと言えます。

安倍元総理の下で与野党の分断が進んだことが甘利前幹事長を選ばせたと言えます。

甘利前幹事長は政治とカネの問題を抱え先の衆院選の小選挙区で苦杯をなめました。

岸田総理の配慮があっての指名だと想像しますが印象は良くないです。

甘利前幹事長につきまとう影の部分が安倍元総理の負の遺産、モリカケ桜を想起させます。

岸田総理は国葬断行の賭けに出たと見るしかありません。賭けには吉も凶もあります。

吉と出れば岸田総理の思惑通り諸外国からの賓客を前に日本の存在感を示せます。

凶もあります。コロナの感染拡大が収まらず非常事態宣言が発出された場合です。

オリンピックのように無観客とはまいりません。式典のやり方は困難を極めます。

もうひとつはテロ行為が発生した時です。安全な国日本の威信は地に落ちます。