続・教育岩盤を壊す

教育岩盤をなぜ壊さなければならないか目的についての議論がいちばん大切です。

教育は国家百年の計との言葉があるように奥が深いだけに大議論が不可欠です。

大学の9月入学改革が一時のあだ花に終わったようにその場しのぎは改革につながりません。

第2次世界大戦後の日本の占領政策を進めたGHQは日本の教育を解体しました。

「アメリカ教育使節団報告書」の中にその基本方針が詳しく述べられています。

1946年3月わずかひと月の調査で日本の戦後教育の大方針が固められました、

ひとことで言えば国家主義的権威主義的教育から民主と自由を重視した教育への大転換です。

6・3・3制も男女共学も教育委員会制度も全てこの提言によって実現したものです。

日本が再び敵国とならないようにするとの深謀遠慮があったのは間違いないでしょう。

道徳と倫理、歴史と地理がやり玉に挙げられています。偏狭さを育むもとだというのです。

個人を大切にする思想や子供たちの自主性を重視する教育が導入されました。

国語改革でローマ字を採用すべきとの提言が盛り込まれました。日本語のピンチでした。

注意しなければならないのはアメリカ側が無理やり押し付けたかというとそうではありません。

教育の民主化と自由化を渇望していた教育関係者は熱烈に支持しました。

民主教育に対する批判は主としてタカ派的保守主義者から起こりました。

日本人が国としての誇りを持つことが後ろめたさを感じさせる教育だというのです。

この背景には戦後アメリカとソビエトの冷戦激化によるイデオロギーの対立がありました。

本来の教育論議から離れて立場の違いによって対立が先鋭化したのは不幸です。

子どもたちの視線からの議論ではなく右だ左だとの路線対立で論議されてしまうからです。

アメリカの勝利により冷戦が終了後今度は新自由主義による改革の潮流が盛んになりました。

効率を重視する教育が唱導されました。その結果が教育格差の拡大でした。

イデオロギー対立の残滓を依然として残しながら効率主義の弊害も受けているのです。

戦後民主主義教育の理想、保守主義者からの異論による変容、新自由主義の弊害。

3者が複雑に絡み合っているのが今日の教育をめぐる状況だと総括できます。

岩盤を壊すのが目的ではありません。何のために壊すかをしっかり議論する必要があります。

2000年小渕内閣の時に設置された教育改革国民会議のような議論の場の復活を期待します。

明治の近代日本の教育改革から戦後民主教育改革、現在までを捉え直して議論すべきです。

対症療法的な改革を重ねたところでパッチワークになり混乱を助長するだけだと思います。

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