福島県相馬地域の二宮尊徳を探る

27日、28日の両日福島県相馬市と南相馬市を訪れました。二宮尊徳の勉強のためです。

勉強会を主催したのは「世界のための日本のこころセンター」です。

このセンターは日本人が身に着けるべき一般教養は何かを探求しています。

その中で二宮尊徳のまちおこしを重視していて一昨年から続けて合宿研修をしています。

一昨年は小田原市、昨年は栃木県真岡市と日光市、今年は福島県相馬地域でした。

いずれも二宮尊徳とつながりがあったところです。遺跡を探訪し専門家の講義を聴きました。

福島県相馬地域は遠いです。新幹線は仙台まで行って戻らないといけません。

常磐線の特急と1時間ほどしか違わないので在来線で行くことにしました。

家を出てから相馬駅に着くまで6時間かかりました。長旅になりました。

居眠りしていると福島県のいわき駅にいることに気づきました。東京駅から2時間半です。

いわきのアナウンスを聞くと背筋がピンとします。3・11の大災害を思い起こすからです。

相馬市、南相馬市一帯は江戸時代は中村藩でした。3・11の被害が大きかったところです。

1780年代に天明の飢饉、1830年代には天保の飢饉に襲われました。

二宮尊徳の手法を取り入れ復興に努めました。成功を収めた地域として有名です。

南相馬市博物館に展示してある二宮尊徳の座像を見て驚きました。

見慣れている二宮尊徳像とまったく要望が異なるのです。柔和な顔立ちで布袋さんのようです。

学芸員の方によると二宮尊徳の指導を直接受けていないからかもしれないとのことでした。

中村藩の復興事業は二宮尊徳の最晩年に当たり息子と有能な弟子たちが担いました。

直接尊徳の顔は見ていないのです。それにしてもずいぶんと違うと思いました。

弟子の中でもっとも有名なのは富田高慶です。尊徳の娘婿でもあります。

斎藤高行も有名です。ともに尊徳の言行録を残しています。尊徳の実像を知る手がかりです。

2日間の勉強会を通じて一番の議論となったのは相馬地域における尊徳の受け止め方です。

直系の弟子がまちおこしを行ったためか明治以降の尊徳イメージとは違います。

明治以降は静岡県掛川市の大日本報徳社が中心となって報徳思想を広めました。

相馬地域の尊徳イメージは地域に密着したもので民衆に近いように思えました。

明治以降は刻苦勉励して国家のために尽くすという方向に変質していると思います。

相馬地域には尊徳のDNAが直接埋め込まれているように思えました。

相馬地域の尊徳の実践記録を探ることは尊徳の実像に近づくことに他なりません。

相馬市には弟子の残した一級の資料が保管されているとのことで解明を切望します。