令和時代の小日本主義=小さくてもきらり路線

国際軍事情勢が緊迫し日本の防衛力強化を求める圧力が強まってきています。

軍部がけた外れに強かった戦前の日本はこんなものではなかったはずです。

そうした中で一貫して軍部の路線に真っ向から異を唱えた経済ジャーナリストがいます。

石橋湛山です。東洋経済新報社を基盤に経済評論で名を馳せました。

石橋が唱えた考え方は小日本主義と称されました。軍国主義に抗した考え方です。

日露戦争に勝利した日本にとって中国東北部の満州は国防と権益の拠点でした。

石橋はその地を放棄しろと主張しました。軍部と真正面から衝突しました。

その後の日本は1931年の満州事変を契機に中国大陸への侵略を続けました。

最終的には1945年太平洋戦争に惨敗しアジア全域での権益を失いました。

敗戦を予期していた石橋は小日本主義を実現する好機と捉え政治の世界へ身を投じました。

敗戦国日本は拡張主義をとる余地は皆無でした。問題は内政にありました。

石橋は生産力を回復するため積極財政を主張しました。民主化路線も強調しました。

石橋は1956年72歳で総理に昇り詰めましたが直後病に倒れました。

総理退陣後の石橋は中国やソビエトとの友好関係の増進に努めました。

石橋湛山の小日本主義は中国とロシアを含めた平和外交が柱であることがわかる生涯です。

ロシアによるウクライナ侵略や米中対立で日本を取り巻く国際軍事情勢が緊迫してます。

小日本主義的発想を活かせる余地があるのかどうか再検討が必要です。

石橋の発想からすれば中国とロシアとの融和路線になります。日米同盟一辺倒からの脱却です。

戦前の小日本主義が孤高の主張に終わったのと同様現状では石橋路線はとれません。

自由や民主主義、法の支配といった原則を放棄して中ロ両国と融和はあり得ないからです。

軍事力ではなく自由貿易の振興によって国力を増すべきとの主張は一理あります。

ただし分断が進む中で自由貿易のみに依存するのは楽観過ぎるとの反論が予想されます。

私は小日本主義にはもうひとつ価値があると思います。それは名称に表れています。

「小」と冠がついてます。ここにこれからの日本が活きる道の手がかりがあると考えます。

くだけた言い方をすれば「小さくてもきらり」路線の日本の模索です。

人口減少、少子高齢化が急速に進む日本という国の現実をもっと直視すべきです。

軍事大国はもちろん経済大国路線も今世紀末に人口が半減する国が採用できる訳がありません。

日本の現実を直視すれば第三の道を行くしかほかに選択肢はないのです。

小さくても質の高さを誇る国へ大胆に変身する道が令和時代の「小日本主義」です。