事実上新町政が始まった開成町。山神裕町政の成功のカギは副町長の選任にあると見てます。

露木甚造町政時代に開成町は基礎固めができました。1963年から20年間でした。

後半3期12年間助役を務めたのは役場の総務課長から上がった下山徳男さんでした。

軍人上がりでワンマンの父を上手に踊らせていた裏方の実力者でした。

法律に詳しく相当に頑固者だと推察します。父も思い通りにならず手を焼いたはずです。

突進をしがちな父とは好対照の守りの強さが父の町政を支えました。

下山さんから役場職員の人物登用の極意を聞いたことがあります。

土地交渉をやらせてみるに限るというのです。実力が全てあからさまになると言ってました。

卓見です。土地交渉をまとめるのは行動力と忍耐力、説得力の総合力が必要です。

父の町政は町域全てを都市計画区域に編入し土地区画整理を行うという前代未聞の手法でした。

下山さんの人材登用が父の町政の展開に大きな効果をもたらしたことはいうまでもありません。

1998年2月に町長に就任した私は父が進めた都市計画の存在を初めて知りました。

長期的展望に立ちまちづくりを進める姿勢に畏敬の念を覚えました。

この土台を元に新たなる発展のアイデアを生み出さなければならないと燃えました。

あじさいの町、自転車の町、古民家再生、企業誘致、新小学校建設と続きました。

全てに一貫して関係しているのはほ場整備、土地区画整理という土地に関わる事業です。

私はアドバルーンは上げれても土地をめぐる具体の実務を遂行する能力はゼロです。

支えてくれたのは保育園から高校まで同窓の小澤均さんでした。

下山さんの助言を実践しました。土地交渉に長けているかどうか見ました。

若手職員を束ねて交渉に没頭する姿勢には驚嘆しました。副町長に抜てきしました。

父と下山さんより関係は深く盟友と言って過言ではありません。

小澤さん無くしては富士フイルムの研究所の誘致はあり得ません。

研究所の誘致が出来なければ新小学校建設の資金も捻出できませんでした。

研究所と新小学校を核に南部地域に良質な住宅地が整いました。

開成町はこの成果で人口増がもたらされているのです。府川町長の手柄ではありません。

小澤さんはいわゆる体育会系です。私は文科系で好対照でした。

私は対外的仕事に集中し役場内は小澤さんの体育会系の統率力に全面的に依存しました。

山神町政に大いなる期待をしています。成否は副町長が握っていると思います。

山神さんは民間出身で行政実務は素人です。有能な実務者の支えが不可欠です。

人選に精力を注いで欲しいです。山神町政を軌道に乗せる最初の大仕事です。