黄昏時の日中関係を考える

NHKBSプレミアムで宮沢賢治の番組を放送しているのを偶然見ました。

1983年放送の番組でした。驚きました。知人の法政大学名誉教授の王敏さんが映ってました。

宮城教育大学に勤務していた時に宮沢賢治をテキストに日本語を教えていました。

生徒は中国から帰国した日本語が話せない日本人の子供でした。

王敏さんにメールしました。王敏さんの方も私に連絡しようとしていました。

日中国交正常化50周年の記念日の9月29日に記念の催しを開催するとのことでした。

福田康夫元総理、二階俊博元自民党幹事長らそうそうたるゲストを招くとのことでした。

「日中茶話会」となっていて旧赤坂プリンスホテルの跡地にできたビルの会議室が会場でした。

6分科会に分かれ王敏さんは「2000年不変の対話」というテーマの進行役でした。

大々的に祝うやり方ではありません。日中関係の冷え込みを反映していると思いました。

福田さんは86歳、二階さんは83歳、その他のゲストも高齢でした。

日中国交正常化を断行した田中総理の秘書官を務めた木内昭胤さんは95歳です。

日中をつなぐ人材が細っていることがゲストの人選からも伺えます。

木内さんらは田中、周恩来の両首相の執念で日中国交正常化は実現したと証言してました。

中国国内でも国交正常化反対論がありました。上海を基盤にした四人組は不気味でした。

四人組とは毛沢東夫人の江青ら文化大革命を主導したグループです。

周恩来首相は四人組の存在を強く意識していて抑え込むのに苦慮してました。

田中元総理が帰国を伸ばして上海を訪問したのは四人組を懐柔する配慮からでした。

周恩来首相から上海訪問を強く要請されたのでした。当初の予定にはありませんでした。

自民党内も反対論が強かったです。血気盛んな若手政治家が手ぐすね引いてました。

田中総理は肚をくくり上海訪問を決め、自民党内の反対論とも向き合いました。

日中国交正常化を実現しなければならないという執念を感じる逸話です。

茶話会の会場の周辺では右翼ががなり声をあげていました。「日中国交断絶」と叫んでました。

日中関係は明らかに黄昏時です。日中友好の言葉がかすれて見えます。

ドイツの哲学者のヘーゲルは、夕暮れ時に知恵の神は使者のフクロウを放つと述べました。

暗闇と思う時こそ冷静に状況を見渡す視点が不可欠だと示唆してます。

日中国交正常化は田中総理のほかにもう一人立役者がいます。大平正芳外務大臣です。

大平さんは知性と熟慮の政治家です。岸田総理は大平派を引き継いでます。

大平さんに学び短慮を避け粘り強さを発揮して対中外交に当たって欲しいです。