改めて「自助」について考える

菅前総理が在任中に国家観を問われて「自助・共助・公助」と語りました。

新型コロナのまん延中だったタイミングが災いして非難を浴びました。

国民が苦しんでいる時に不謹慎ではないかという感情的な反応でした。

菅総理の弁論術がもう少し巧みだったならば異なった反応があったと思います。

どのような緊急事態に立ち至っても自分の身は自分で守る意識は基本です。

コロナにおいても同じです。感染防止策を全くとらずに感染するのは自己責任です。

出来ることは自分でして、それでもできないことは近隣に協力を求め最終的には行政です。

この順番が典型的に問われるのが災害時です。まずは自分と家族です。

ここでできることをせずに隣近所や行政に依存しては社会が成り立ちません。

行政は大災害時てんやわんやの大騒ぎで個別の住民対応は厳しいです。

自分でできる備えと何をすべきかの判断力を身に着けることが必須です。

自助が基本だということは弱者切り捨てではありません。むしろ逆です。

自分で身を守ることができる住民が多ければ多いほど行政は余裕ができます。

高齢でひとり暮らしの方や障害があって援助が必要な方に注力できます。

菅前総理は「自助努力が全体を救済する。これが自分の哲学だ。」と述べて欲しかったです。

5日から7日まで東京ビッグサイトで危機管理産業展が行われました。

東京都が力を入れています。特別の展示場所を設けたほかシンポジウムを開催してました。

東京都は首都直下型地震の被害想定を5月に見直し地域防災計画に反映する作業中です。

関係した学者や危機管理監が議論してましたが底流に流れている考え方は自助でした。

住民や企業ができることをどこまでできるかで防災減災は進むと明言してました。

その延長線上で地域の共助も強調してました。本音で防災を考えるとこうなります。

住宅の耐火や耐震技術が進み強い地震でも火事を起こしたり倒壊しない建物が増えました。

関東大震災時点とは大きく異なった点です。自助努力で身を守れる範囲が広がりました。

避難せずに建物にとどまる形での防災が一定程度可能となったのです。

住民の落ち着いた行動が大切となります。避難所に逃げるのが防災と考えるのは早計です。

逆に技術革新が危険をもたらしている側面もあります。ネットを通じたデマです。

フェイクニュースは脅威です。だまされないよう個々人が能力を高める必要があります。

防災は他者のせいにせず自分が果たすべき責任を認めることから始まります。

自助の哲学、大規模災害が頻発する時代に国民の側が率先して考える課題だと思います。