ウクライナ戦争、国家の戦争から個人の戦争へ

朝日新聞のデジタル版でウクライナ戦争について深く考えさせられる記事を読みました。

早稲田大学の古谷修一教授へのインタビュー記事でした。国民の人権意識に着目しています。

ロシアのウクライナへの軍事侵攻で多くのウクライナ市民が犠牲となりました。

ロシア軍がキーウ近郊から撤退した後ブチャによる虐殺が明るみに出ました。

ウクライナ国民の怒りは心に刻まれロシアへの不屈の抵抗へとつながってます。

虐殺を受けた「人権」問題は早い段階から重要な問題として浮上したことになります。

ロシアは核使用で脅していますがロシアとの妥協を阻んでいるのは「人権」意識だというのです。

「人権」を踏みにじったロシアを許すことはできないという国民意識が妥協させません。

プーチン大統領はこうしたウクライナの国民意識の変化を正確に理解していません。

国家の力でこの種の問題は押し切れるという理解のままだと見ていました。

国民の人権を尊重する立場を強力に後押しする機関の存在があります。

国際刑事裁判所です。合理性のある訴えがあれば戦争犯罪を裁くことができます。

人権を踏みにじる残虐行為が通常の裁判のように裁かれるという状況の変化は大きいです。

戦争犯罪などというと一般の国民とはかけ離れた問題と受け取られがちです。

ところが通常の裁判と同じように追及し犯罪を立証できる場があるのです。

虐殺を受けたウクライナ国民は戦争犯罪の立証に躍起となるはずです。

古谷教授はSNSの爆発的普及が国民意識に大きな影響を与えたと分析してます。

戦争の映像が即座に飛び込んできます。建物は破壊され人々は死傷します。

戦争が身近になりました。国家レベルではなくひとりひとりの国民の戦争となります。

戦争を目の当たりにすることで人権を踏みにじる行為に対し怒りは倍加するはずです。

国内に留まる話ではありません。戦争犯罪は世界に映像で伝わります。

テレビを見た人々はあたかも自分の家族や知人が犠牲になったかのような感慨に囚われます。

理屈の世界ではなくリアルな感情としてロシアに対する反発は強まります。

具体の事象として戦争が伝わり国民ひとりひとりの戦争と化することは厄介な側面があります。

妥協が成立しにくくなります。断じて許さないとの感情が優先してしまいます。

ゼレンスキー大統領が反攻を止めないと宣言している背景には国民の感情があると見ています。

国家が行うとされてきた戦争がひとりひとりの国民の戦争へと変質しました。

ひとりひとりの人権を守るために逆に戦争が続くという悲劇が進行中です。

プーチン大統領がロシアという国家を守るために犯した戦争の罪は誠に深いです。