宗教とは何かを知りカルトを防ぐ

一昨日のブログで宗教とカルトについて言及したら目からうろこの指摘がありました。

宗教は、英語でreligionです。reは再びでlijionは結合することだというのです。

見失った自己と再び結合する、自分を取り戻すというのがもともとの意味だと書いてありました。

開成町の山下純夫さんのコメントです。一瞬にして視野が開けた思いがしました。

英語の語源辞典を手に取るとre=back、ligare=to bind となっていました。

元々はラテン語から来ていて山下さんの言うように「戻って結ばれる」の意味でした。

人はこの世に生まれてくると迷いが生じます。元のあるべき姿に戻らないといけません。

神と再び結びついてあるべき精神世界を思い出すことが必要だということになります。

そして手引きをするのが宗教ということになります。納得できました。

再び疑問が持ち上がりました。日本で宗教という言葉はなぜ定着したのかです。

ネットで論文を調べてみると「宗教」は明治以降に翻訳語として形成されました。

幕末から明治にかけ西洋文化とふれあい「信教の自由」という考え方を知りました。

この場合はキリスト教です。キリスト教に代表される体系をどう訳すかが課題となりました。

仏教の経典にあった宗派の教えの意味である「宗」と「教」を当てました。

明治維新直後の1873年ごろには「宗教」という訳語は定着したとされています。

明治政府が国家の運営の精神的柱とした神道は「宗教」の概念の外に置かれました。

神道も一つの宗教と位置付けられたのは戦後になってからのことです。

複雑な歴史的経緯を辿ったことが日本で「宗教」を語ることを難しくしています。

翻訳語からスタートしていますので深い意味を探らず表面的な理解に留まりがちです。

戦前の国家神道の負の歴史があるために宗教を語ることを避けたがる風潮も出てしまいます。

こうした構造的な問題を日本社会は抱えていることが宗教にまつわる事件を引き起こします。

岸田政権をを揺るがしている旧統一教会問題はその象徴といえる出来事と位置づけられます。

宗教の本来の意味をもう一度再確認することから始めなければなりません。

宗教とは神との再結合となります。ただしあくまでもキリスト教の概念です。

その他の仏教や神道などあらゆる宗派もそれぞれに聖なるものとの一体化を目指しています。

根本的には宗教の目的に違いはありません。頂上を目指す道のりが違うだけです。

こうした根本を理解しておくことはカルト宗教に取り込まれることを防ぐ防波堤です。

極端な教義や献金強要に自ずと疑問が生じ勧誘に惑わされないと思うからです。