第2回関東大震災遺跡探訪
足柄の歴史再発見クラブで先月27日関東大震災の遺跡を見て回りました。
9月に真鶴町と小田原市片浦地域で行ったのに続き2回目です。
今回は山北町と南足柄市北足柄地域を会員7人で回りました。
私にとって再発見がいくつもありました。現地を回らないとダメです。
最初に酒匂川の治水の難所に立つ南足柄市大口の福沢神社の入り口にある治水碑を見ました。
この場所の酒匂川の治水と言えば富士山の宝永噴火後の治水にすぐに行ってしまいます。
江戸時代の話しでその後は堅固な土手に守られたと先入観で思ってしまいます。
ところが関東大震災で水田に水を引く用水路が破壊され大規模改修が行われました。
小規模な水力発電で併用した「文命用水」が完成し農業用水の確保が安定しました。
1936年7月に建てられた「文命用水碑」に一連の苦難の歴史が刻まれています。
大震災後の改修工事で獅子奮迅の活躍をしたのは神奈川県の担当課長でした。
草柳正治さんです。私の家とも深いつながりのある開成町の方です。
昼食はJR御殿場線山北駅近くの空き家を改造したカフェでとりました。
ランチ、美味しかったです。食後のソフトクリームは格別でした。
山北町の大野山で酪農を再開した若い女性が経営する牧場で取れた牛乳で作りました。
山北駅周辺の寂しさは驚くばかりでした。日曜日、静まり返ってました。
鉄道の町として栄え足柄上地域の中心だった山北町の面影は消えてます。
手品はできませんのでカフェのような小さな取り組みを重ねるしかありません。
山北町役場の駐車場わきに遺跡があります。当時の田代彌市町長が建てたものです。
この遺跡も地震で建物が倒壊した記録ではなく水害復旧の記念碑でした。
中山間地の山北町は土砂崩れで河川の埋り水害が多発したのです。
大地震は建物の倒壊が主たる災害という思い込みは避けなければなりません。
役場敷地内の遺跡です。案内板がないのがいささか残念でした。
山北町岸の八幡神社のクスノキの巨木が関東大震災の遺跡なのには驚きました。
震災で根本が裂けて小枝が出てきたというのです。生きた遺跡でした。
南足柄市内山摺手の震災復興碑を見るのはひと苦労でした。雑草が生い茂っていたからです。
道路わきの斜面を下ったところに遺跡はありましたが近づけません。
総出で草刈りをして周囲を小ぎれいにしてようやく降りることができました。
誰が管理するか明確でないとこういった事態に陥ってしまうのはどこも一緒です。
管理者を明確にしておくことは災害遺跡を後世に遺す基本中の基本です。
来年の関東大震災100年をきっかけに行政はぜひ総点検して欲しいです。