サッカーからナショナリズムを考える
サッカー日本代表が惜しくも敗れロス状態になっている方もいられると思います。
ワールドカップ自体はこれからが本番です。世界最高峰のプレーが見られるはずです。
サッカー好きの方にとっては4年に一度しか味合うことが出来ない貴重な時間です。
サッカーに興味がない人にとっては日本が負けたと同時に大会はほぼ終了です。
日本代表ならば夢中になって応援するのにそうでないと醒めてしまうのは不思議です。
国の代表選手が国の名誉を背負って必死で戦っているのだから当然だと思うかもしれません。
自分の国だからという感情は英語ではナショナリズムという言葉が充てられます。
民族主義とか国家主義とか様々な意味合いがあって日本語にするのは骨が折れます。
生まれ育ったり生活した国だからという素直な感情はナショナリズムとは微妙に違います。
英語でも区別されていてこちらの感情はパトリオティズムと言われます。
一般に愛郷主義と訳されます。自分の生まれ故郷を愛する感情のことです。
ここで問題になるのは故郷はそのまま日本につながるのかという問題です。
私は神奈川県西部にある足柄平野の小さな町で生まれ育ちここが故郷です。
幼いころは水田が広がるのどかな地域でした。私の原風景となってます。
愛郷とは実際に感じることの感情です。頭の中で無理やり作ったものではありません。
ところが日本を愛する国民であっても愛国となると故郷を愛するとは微妙に違います。
こちらはリアルな感情というよりも頭で想像して作ったものを愛するという感覚です。
アメリカの著名な政治学者が国家は「想像の共同体」だと言いました。
確かに頭で想像して日本という国のイメージを創り上げてそれを愛すると考える方が素直です。
江戸時代に生活していた一般の民衆には日本というイメージはありませんでした。
それぞれの藩が今でいう国と言えば国です。愛国ではなく愛藩だったのです。
明治維新後、天皇を中心とする国家体制に変わって一般の民衆にも愛国が生まれました。
このような歴史を踏まえれば愛郷主義はよりリアル、愛国主義はよりバーチャルと言えます。
愛郷にしても愛国にしても愛するのだから良いことだと言い切れないところが悩ましいです。
排外主義です。行き過ぎると暴動となったり極端な場合は戦争に発展します。
サッカーの話しからずいぶん脱線し小難しいくなってしまいました。
日本代表ならなぜ熱烈に応援するのか少し深く考えてみるのも良いと思います。
世界中で愛郷主義や愛国主義がきっかけで争いが絶えないからです。
ひとりひとりの感情が根っこにあるだけに誰もが冷静に見つめ直す問題だと思います。