日米開戦の日は反省の日
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
1941年12月8日午前7時のラジオでの太平洋戦争開戦の第一報です。
81年前の今日日本軍はハワイの真珠湾の米軍基地に奇襲攻撃をかけました。
マレー半島にも上陸したほかフィリピンや香港でも軍事作戦を展開しました。
1937年7月に始まった中国との戦争は一気にアジア太平洋地域に拡大しました。
連合艦隊司令官は山本五十六大将です。山本は日米開戦に反対していました。
日米の軍事力とそれを支える産業の力のあまりの格差を冷静に見ていたからです。
アメリカから石油が輸入できなければ日本の産業は成り立たず戦争は継続できません。
この現実に目をつぶりインドネシアの石油を目当てに戦争を始めたのです。
山本は近衛文麿総理に「半年か1年は暴れてみせる。」と語ったとされます。
長期戦は無理だと自覚していた証拠です。日本は無謀な戦いに挑みました。
一昨日NHKBSプレミアアムで開戦に反対したスウェーデン駐在武官の番組を放送してました。
情報将校の小野寺大佐は独ソ戦でヒトラーのドイツ軍の苦戦の極秘情報をつかんでいました。
ヒトラーはスターリンのソビエトの抵抗を甘く見て失敗したのです。
日米開戦を決める上でヨーロッパの戦局の情報分析は決定的に重要です。
駐ドイツの大島浩大使からはナチス有利の情報ばかりがもたらされていました。
小野寺からの本国への極秘情報は無視されました。事実は小野寺の情報通りでした。
日米開戦から間なしにヒトラーはソビエトからの退却戦を余儀なくされました。
ヒトラーの勝利を信じ込んでしまった日本は取り返しのつかない過ちを犯しました。
日本の一般国民は厳しい情報統制のもとで軍にとって都合の良い情報しか知りませんでした。
日中戦争で日本軍が中国軍に苦戦を強いられているなどとは夢にも思わなかったはずです。
蒋介石と毛沢東は抗日の連合戦線を張り日本軍を泥沼の戦いに引きずり込みました。
アメリカに対する外交を徹底し味方に引き込むことにも成功していました。
日本を取り巻く極東情勢は四面楚歌に近かったと言えます。加えて頼みのドイツの劣勢です。
情報を遮断されていた国民はアメリカと戦っても勝てると信じ込み熱狂しました。
しかし真相は一か八かどころではなく限りなく勝利の可能性の低い戦いだったのです。
日米開戦の日の今日は、政府も国会も国民もこの冷厳な事実を前に深く反省の日とすべきです。