日本は皇室と民衆の二本立て国家
杉田廣善さんは90歳を超えても国と人の生きる道を問い続けています。
大腿骨骨折の大手術から復活し自分には使命があると意気ますます盛んです。
おとといお歳暮を届けがてら千葉県柏市のご自宅を訪問しました。
自宅に歩行用の練習器具が設置されていてリハビリを続けているとのことでした。
車いすから立ち上がり少し歩いて見せてくれました。確かに歩けました。
脅威の回復ぶりには担当医師も前例がないと驚きを隠せないとのことでした。
杉田さんの提唱する「新しい道」の道理を今回もたっぷり聞かせてもらいました。
昼過ぎから気づくと3時間半が経過していました。ほぼ杉田さんが話され私は聞き役です。
ゆっくりとした口調で語り掛けられるといつの間にか引き込まれて時間の経過を忘れるのです。
内容は幾度となく聞いた内容なのですが何度聴いても新鮮に感じるのは不思議です。
肚の奥に存在するみたま(魂のような存在)は生き様全てをつかさどるはずでした。
「はずでした」と書いたのは本来の役割を果たせずにいるからです。
私利私欲まみれの人間は本来はこう生きるべきとのみたまからのメッセージに気づきません。
欲望を振り払い真空のような状態になれればみたまのメッセージはダイレクトに伝わります。
欲望があるのが人間ですのでそう簡単には理想の状態にはなれません。
逆転の発想で全てをあるがままに受け止めることでみたまの声に気づこうというのです。
苦難が襲い掛かっても「ありがとう」と喜んでいるうちに気づくというのです。
「新しい道」とは何かと問われれば「みたまに還れ」のひとことに尽きます。
理屈抜きにその通りだと思うとなぜか肚の底から元気が湧き上がってきます。
「新しい道」は日本だけが持つ特別な国のありようについても語ってます。
天皇の存在を極めて重くて見ていて連綿と続く皇室は日本そのものだと位置づけてます。
日本とは何かと問われると聖徳太子の「日出ずる国」が思い出されます。
「新しい道」では天皇をはじめ連綿と続く皇室と一般の民衆の二本の柱が日本だとされます。
一般の民衆が天皇になることはできません。それが日本の天皇制です。
権力者が天皇家を滅ぼし天皇にとってかわったという歴史は日本にはありません。
古事記に語られる神話を大切な教えとするところは江戸時代の「国学」と通じます。
中国や欧米の影響を排除したところに日本の原点があるとの考え方です。
現存する古典としては古事記と万葉集を挙げ日本人が学ぶべき教養だと語ってました。
古代の古典とさして縁がなかった私ですが遅ればせながら学ばなければと思いました。