”器用”な湯河原町議土屋由希子さんへのエール

湯河原町議の土屋由希子さんが自分は器用な人間だと書いてました。

テキパキしているし話しは的を得てるし自己分析は正しいと思います。

器用な土屋さんは不器用な人に劣等感があるのだというのです。

大学卒業後土屋さんが選んだのは芸能のプロダクションに就職する道でした。

土屋さんは理系女子です。驚くべき進路です。家族はさぞかし驚いたことでしょう。

事務所の演出家の方から「器用な人間は不器用な人間に勝てない。」と言われたというのです。

自分が器用なことに引け目を感じていた土屋さんの心にこの一言は突き刺さりました。

土屋さんが担当したある著名な芸人の方は不器用だったというのです。

お客さんに喜んでもらうためという一点に集中し愚直に努力し芸を磨きました。

その方の並々ならぬプロ根性を目の当たりにしたことが人生の原点になっているようです。

以上は土屋さんがフェイスブックに投稿した文章をかいつまんで紹介したものです。

私は「器用と不器用を使い分けられたら」となぞかけのような感想を書きました。

土屋さんから「使い分けが出来たりすれば究極の器用で不器用以下です。」と返事がきました。

土屋さんは自分が器用なことがよほど気にかかるようです。この意識を乗り越えて欲しいです。

器用は器用の良さ不器用は不器用の味があります。極めて行けば同じ境地に達すると思います。

教えてもいないのに常人の域を楽々と超えるような才能の持ち主もいます。

天分はさほど出なくても鍛錬によって神の領域に達する方もいます。

どちらが上ということではありません。ともに努力してます。やり方に違いがあるだけです。

不器用でも頑張ることに価値を見い出すのは日本の文化に由来している側面もあります。

薪を背負って本を読む少年二宮金次郎が典型です。困難に耐えるのが日本人に受けるのです。

そうしたタイプの人物に努力家の称号を与えて祭り上げる傾向があります。

土屋さんは器用であることに何ら引け目を感じる必要はありません。

むしろ器用さをとことん活かしてまちづくりに邁進して欲しいと思います。

注意して欲しいのは器用な方は先が見えますので楽する傾向がある点です。

これはダメです。土屋さんがいくら才能あふれる新進気鋭の政治家と言えどもかけ出しです。

苦労を買って出て磨く必要があります。目標を高く挑戦することがいちばんです。

そのうち器用とか不器用とかを意識しない境地に達し偉大な成果を残すと確信します。