ワールドカップ後の首長論
世界中が熱狂したサッカーのワールドカップが終わりました。
アルゼンチンを優勝に導いたメッシ選手の柔らかで魔術のようなボールさばきには誰でも酔います。
類いまれなスピードがあるのに感じさせません。スローモーションを見ているようです。
サッカーに限らずスポーツ選手が極度の集中状態に達すると時間がゆっくりと進むと言います。
超一流選手だけが知る感覚を観客にも味合わせてくれているかのようです。
準優勝のフランスのエムバペ選手の躍動もすさまじかったです。
こちらは目にもとまらぬ一瞬の輝きが持ち味です。瞬きしていると見逃してしまいます。
時間を切り裂くプレイとでも言いたくなります。
メッシ選手もエムバペ選手も間違いなく天才です。努力の天才の要素も兼ね備えているはずです。
天賦の運動能力におごっていては神業は見せられません。
天才で努力家たちがしのぎを削る世界だからこそ見る人を魅了するのだと思います。
一般の社会は天才たちだけが集う世界ではありません。
特定の分野で超一流であっても全ての分野がそのレベルなんて言う人はいません。
神様ではありませんので得手不得手があります。
多種多様な人たちを束ねてひとつのまちを創るまちづくりの仕事の難易度は高いといえます。
まちづくりのリーダーである首長は極めて困難な仕事に従事している自覚が必要です。
特に住民と直接接する市町村長はそうです。天才が首長になれば上手くいくものではありません。
多様な意見を聞きながらまとめる技が必要です。
椅子に座って多数意見に従えばよいというわけにはいきません。
あるべき姿が必ずしも多数意見とは限らないからです。
理想像を語り納得する人々を増やす作業が必須です。
この努力は一筋縄ではいきません。
首長は権力を持ちますので努力を中断し強引に押し切る誘惑に常にさらされるためです。
面倒になって強権発動となってしまうことがあります。その結果は独断との批判が待ち受けています。
話を聞きつつあるべき方向に誘導していく技は容易に身に着くものではありません。
失敗も含めてあまたの体験を経ないと無理です。
首長を目指すならばできる限り若いうちにと思うのはこのためです。
瑞々しい感性があるうちに体験を通じて学んだほうが良いからです。
考え方が凝り固まってからでは多様な意見に柔軟に対処できません。
棒を飲んだような対応になりがちです。
首長という仕事は若き挑戦者たちが切り開く仕事だと思います。