YOSHIKIという名の求道僧

伝説のビジュアル系ロックバンドXJAPANのリーダーYOSHIKIさんの特番を視ました。

NHKの「プロフェッショナル」です。

自分への厳しさは半端ないです。高い理想を追い求めるからでしょう。

一睡もせず舞台に上がる直前まで練習を続けていました。努力は裏切らないと語ってました。

当然他人にも厳しくなります。バンドは解散へと追い込まれました。

ソロとなりプライベートジェットで世界を渡り歩き楽曲を届けています。

YOSHIKIさんは千葉県館山市の出身です。義父の出身地なので何度も訪れました。

南房総の中心地と言っても田舎の地方都市です。

YOSHIKIさんに館山の匂いがするかと思うと親近感がわきます。

私も神奈川県西部の田舎の出身だからです。

YOSHIKIさんの楽曲から悲しみが感じ取れるわけを知りました。

身体が弱く学校を休みがちでした。YOSHIKIさんの無二の友達はピアノでした。

父親から無償の愛を惜しみなく受けていました。ところが突如父親は自ら命を絶ちました。

XJAPAN時代の盟友だったギタリストのHIDEさんもバンド解散後急逝しました。

孤独にさいなまされたYOSHIKIさんを支えたのは母親でした。

館山市の老舗呉服店の生まれとウィキペディアにあります。

老舗呉服店と言えばユーミンと一緒です。

和を象徴する稼業の家庭から洋楽の色彩が濃いスターが誕生したわけです。

これは偶然の一致なのでしょうかそれとも必然でしょうか。

ビジュアル系のロックバンKISSのコンサートに母と行ったと語ってました。

母は和服でした。その隣で少年YOSHIKIさんは絶叫してました。

その母親も今年亡くなりました。

館山で行われた49日の法要は午後5時から。防災無線から全市内に音楽が流れる時刻です。

曲は「フォーエバーラブ」。XJAPANの名曲です。

YOSHIKIさんはあふれる涙を止めることはできませんでした。

YOSHIKIさんが災害ボランティアに行ったシーンがありました。

2019年10月、度を越した過密スケジュールの合間を縫ってのことです。

向かった先は千葉県鋸南町、館山のそばです。台風19号で多大な被害を受けました。

お忍びで災害ボランティア。YOSHIKIさんの故郷への思いがあふれてました。

YOSHIKIさんの身体は満身創痍状態です。でも自分は甘い、永遠のアマチュアだと言います。

この方は求道僧です。他に適当な言葉が見つかりません。

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