始末に困る人の輩出を応援する
誰もが一つや二つ頭を悩ませている哲学的な問題があるはずです。
私はなぜこの世に生を受けたかという疑問がそれにあたります。
1993年8月にNHKを辞める前1年ぐらいは悶々としてました。
仕事場の自民党本部や国会を抜け出し神田神保町の書店街によく向かいました。
小難しい哲学書を手に取って眺めているとなぜか落ち着くのです。
西田幾多郎の難解な『善の研究』が愛読書というか心のよりどころでした。
理解できなくても真理が書かれていることだけはわかると支えになるのです。
精神的ピンチはNHK退職へとつながりました。
政治家を目指すと宣言したものの道筋は描けていません。
日々の精神的安定を支えていたのは宗教書でした。
寝る前に人生って何だと問い返す時間をつくり心が鎮まるまで待ちました。
そうしないと不安で眠れません。
こんな精神状態の時にカルト教団に誘われたら揺れ動いたことでしょう。
政治活動がルーティーンとしてあったことが横道にそれなかった理由です。
1998年2月から開成町長に就任し生活は安定しました。
何のための人生かという疑問は残ってました
心の奥底にその問いはしまい込んでまちづくりに賭けました。
3期目が終わりかけた頃になってまたもや疑問が首をもたげだしました。
NHKを辞めた時と同様に仕事に身が入らなくなりました。
現状を壊さなければという焦燥感に駆られました。
安住していてはならないとの声が聞こえてくるのです。
県知事選挙への誘いがあって乗りました。
選挙は事実上オール与党の黒岩知事にはかないませんでした。
4月は統一地方選挙です。敗北から12年が過ぎました。
大学に勤務できじっくりと人生とは何かの疑問に向き合えました。
ほぼ結論が見えてきました。
自分がなしたいと思うことに真摯に向き合えば自ずと開けます。
どれだけ計画しても納得した人生が得られかはわかりません。
欲を捨て身を放り出した時に活路が見えるというものです。
西郷隆盛の言葉が真実を突いていると思うようになりました。
「命もいらず名もいらず官位も金も要らないものは始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は無し得られぬなり。」
始末に困る人になるのが理想の人生のあり方だと思います。
始末に困る人は恐れがありません。泰然自若と対処できます。
危機に瀕する日本、始末に困る若者が求めらます。
始末の困る人の輩出を応援するのが私の人生だと思うこの頃です。。