「みずから」派と「おのずから」派

「人は見た目が9割という」という言葉あります。
元々は新書のタイトルです。
このタイトルに引き寄せられて購入した方も多いと思います。
人ではなく書物はタイトルが9割ということになるのでしょうか。

書店のぶらぶら歩きが大好きな私には当てはまります。
タイトルで本を手にすることがままあります。
刺激的な題名で購入欲をくすぐっていることを承知してます。
それでもついつい手に取ってしまいます。

先日小田原駅ビルの書店内である文庫本のタイトルが目に入りました。
『「おのずから」と「みずから」』となってました。
竹内整一さんという東大名誉教授で思想史の先生の著書でした。
関心を持ち続けていた分野ですのですぐに目次を見ました。
買いたくなる衝動を抑えて元に戻しました。
調べ物をしている最中で横道にそれるのを恐れたからです。

1週間ほどしてもう一度そのコーナーを見たら本が無くなってました。
日本思想史の固い本が売れるんだという驚きを感じました。
慌てて別の書店に行ったら一冊あり購入しました。
タイトルに惹かれるだけではないでしょう。問題関心を持っている人が多いのです。
日本の知的読者層の厚みを実感しました。

著者はできる限りかみ砕き易しく記述するよう努めてます。
それでも容易には読解できません。
ただ著者の問題関心は明快に理解できました。
日本文化の底流には「おのずから」と「みずから」がせめぎあってます。
せめぎあいの場というか空間のことを「あわい」と言ってます。
「あわい」とは間のことです。

日本においては自然のながれに沿う「おのずから」を重視する伝統があります。
日本文化には個の確立がないとか作為がないと批判がなされるのはこのためです。
しかし本人の自発性に基づく「みずから」が皆無というわけではありません。
竹内さんは「おのずから」と「みずから」の格闘に意義を特色を見い出そうとしてます。

自分の行動スタイルを考える上でこの著書は大変参考になりました。
私は「みずから」の自主性を重視する一方で「おのずから」も大切にする立場です。
人事を尽くして天命を持つということです。

「みずから」の最大の目標は「おのづから」への確信を持つことです。
確信がないとどこまでも「みずから」動き続けてしまい収拾つきません。
出来得る限りは備えあとは自然の成り行きに任す思い切りが必要だと思います。
読者の皆さんはいかがですか。「みずから」派ですか、「おのづから」派ですか。

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