ウクライナ軍事侵攻から1年で思うこと

ロシア、ウクライナへの軍事侵攻の一報を目にした時の感想は複雑でした。
ほら見たことかという思いが先行しました。
ウクライナ国民が味合うであろう苦難よりも強かったです。
人として望ましい態度でないことは重々承知です。
しかし思った通りだという自分勝手な感情がこみ上げました。

専門家諸氏の多くはどっちつかずか慎重な見方でした。
どっちに転んでも傷つかないような発言を耳にすると腹が立ちました。
例えばロシアの軍事侵攻には相当のリスクが伴うなどという言い回しです。
そんなことはわかり切ってます。
そのリスクを敢えて取るかどうかを分析するのが専門家です。
そうした研究者としての勇気を持ち合わせている専門家は少なかったです。

結果が出てからあれこれ評論するのは専門家もどきに過ぎません。
結果が出る前に結果を想定しその根拠を示すのが専門家です。
わからないのならわからないとはっきりさせて自分の能力不足を認めるべきです。
専門家もどきのばっこは不愉快です。
本物の専門家かどうかを見極めなければなりません。

陰謀論に頼るのも危険です。
裏で牛耳っている闇の勢力がいてアメリカが戦争を仕掛けたという類の言説です。
水面下での情報戦はアメリカもロシアも激しく戦わせていることでしょう。
そうした得体のしれない動きが陰謀論を助長します。
アメリカが仕掛けたと思い込むとそのように見えてしまうから不思議です。

事実だけを取捨選択し陰謀論から距離を取ることが大切です。
わかっているのですが情報が限られるので判断が難しいところが悩みの種です。
陰謀論を無視するのではなくひとつの見方として冷静に見るのが現実的です。
その上で事実を追っかけて行くとどこかにほころびが出てきます。
ロシアが敗北しているのではなく意図的に撤退をしているという見方がありました。
その後の報道を追っていくとどうやら想定した戦闘状況でないことがわかってきます。

陰謀論を取る立場からはブチャの虐殺はウクライナの創作だという見方がありました。
実際はロシアの残虐行為であったことは明らかです。
陰謀論は旗色が悪くなっているように見えます。
しかし決して消滅しません。
次から次へと陰謀の種を見つけてきます。
ウクライナ戦争は陰謀論的見方に対応する能力を身に着けるテストケースでもあります。
報道に接する度に本当かどうか自分で判断してみる姿勢が必要です。
都合の良いことだけを信じる色眼鏡を外す訓練にもなります。