湯河原町のチェンジ!実現に向けて


湯河原町長に出馬表明した土屋由希子さん。
政策トークが始まりました。
JR湯河原駅にほど近い宮下会館でした。
30人ほどが集まりました。
小さな一室が満席で熱気がありました。

進行は湯河原移住者の作家の田口ランディさんでした。
プロのさばきでした。
土屋さんのまちづくりに賭ける意欲をと促しました。
土屋さんが30分ほど熱く語りました。
子育て支援と教育をまちづくりの核にすれば町は変わると情熱をこめました。
その姿を見てもらえば人口は増えはずと言い切りました。

土屋さんは湯河原町民の力を信じていると話しました。
土屋さんは助産院を造ろうと頑張っています。
子供を産む場所がないことに危機感を抱き実践しているのです。
100人を超える仲間が手弁当で参加してます。
その姿に土屋さんは励まされているのです。

田口さんから厳しく問題点を述べてと要請がありました。
私は湯河原町民は甘えていると単刀直入に述べました。
湯河原と名前を出せば誰もが知っています。
有り余るほどの豊かな地域資源を活かしていないと指摘しました。

開成町のまちづくりの歴史を話しました。
ほぼ水田しかなかった町の町長に私の父が就いたのは1963年。
計画的なまちづくりを訴え悪戦苦闘。
それから60年が経過して今日の発展を見ています。

教育の町を訴えて1965年に小中学校で給食を実現してます。
湯河原町はいまだ中学校の給食ができていません。
恥ずかしくないのでしょうか。どこかがおかしいのです。
その根本原因は湯河原町民の甘えだと突きました。

参加者にとって耳の痛い話だったと思います。
参加者とのやり取りは私の意見に刺激を受けたものがありました。
移住者の方から湯河原のまちづくりの現状への具体の提案がありました。
札幌市のまちづくり計画への住民参加のありかた。
東京渋谷区の区役所職員の応対の的確さ。
外を知っている人の視線は厳しいのです。

土屋さんは東京から子育てのためにふるさとに戻りました。
外を知っている強みがあります。
このような人材が湯河原町の変革には不可欠だと思います。

土屋さんの選挙のスローガンはチェンジ!となりました。
オバマ大統領の熱狂の選挙の再現を目指す意味で良いと思います。
土屋さんも投票に行って欲しいと訴えかけてました。
前回の町長選挙は50%に満たない投票率でした。
これでは熱狂にほど遠いです。チェンジは不可能です。
5ポイントできれば10ポイント上がれば奇跡は起こります。