シベリア抑留からロシアの暴虐性を見つめ直す
東京丸の内でシベリア抑留からの引き揚げをテーマに展示会が開かれてます。
京都府舞鶴市の引き揚げ資料館と東京の平和記念展示資料館の合同開催です。
抑留を知る高齢者が多いのかと思いきやそうではありませんでした。
高層ビルの地下1階の展示コーナーには若い人も大勢見に来ていました。
昨年公開された話題作「ラーゲリから愛をこめて」の影響があるのかもしれません。
幾度となくブログで紹介しましたが私の父はシベリア抑留組です。
4年半シベリア内の抑留施設を転々として帰国を果たしました。
将校でしたので強制労働は免除でした。
ただしソビエトの独裁者スターリンへの忠誠は一切拒否の姿勢を貫きました。
このため危険分子と見なされ独房に入れられるなど厳しい処置を課されました。
展示場には収容施設の模型が展示されてました。
父が収容されたのも似た施設だったと思います。
想像を絶する厳しい環境に耐え生き延びたことが偲ばれました。
展示方針に不満が残りました。
ソビエトの暴虐性に対する批判が弱いです。
1945年8月8日一方的に日ソ中立条約を破棄しソビエトは旧満州に侵攻しました。
60万人にも及ぶ日本軍将兵をシベリアに送り込みました。
日本に帰すという甘言を弄しだましたのです。
スターリンは米英との密約に基づき北方領土の強奪を断行しました。
ロシアが今まさにウクライナで行っている残虐行為をほうふつとさせます。
ソビエトとそれを引き継いだロシアという国の本質がわかります。
ソビエトの暴虐をもっと批判する視点を強調して欲しかったです。
平和の尊さを尊重するあまりソビエトの悪辣さをあいまいにするのは本末転倒です。
独裁者スターリンの暴虐が悲劇をもたらした根本原因です。
私が展示会を見学に行ったのには訳があります。
今日開成町の遺族会で町内の戦没者遺跡の見学会があります。
この中で私が菩提寺に建てた慰霊碑も入っていて解説することになっているからです。
この慰霊碑は父の死から5年後の1989年に建てました。
父はソビエトとの戦闘で多くの若者が散ったことを私に語っていました。
「戦争で死ぬために生まれてきた者たちだから追悼しなければならない。」
この言葉を父の遺言だと受け止め建立しました。
今日の見学会では父の遺志を説明したいと思います。
それと同時にソビエトとロシアという国の持つ暴虐の本質も語ります。
ロシアの甘言にだまされ再び煮え湯を飲まされることがあってはなりません。