あの日から12年

あの日から12年が過ぎました。
東京永田町の衆議院議員会館の一室で神奈川県知事選挙の出馬会見直前でした。
午後2時46分突如襲った激しい揺れに騒然となりました。
集まっていた記者たちは持ち場に走りました。
横浜から来ていた記者が多かったですので戻れたかどうかは不明です。

私は地元に戻れませんでした。
開成町長の職責がありましたので焦りました。
最初のうちはつながった携帯電話はつながらなくなりました。
威力を発揮したのは交番の緊急電話でした。
交番の固定電話は一発で役場とつながり連絡が取れ感謝しました。

知事選への出馬は揺らぐことなく断行しました。
しかし選挙情勢は圧倒的に不利です。
メディアを通じて首長の有志連合で戦いを挑む構図をアピールしようとしました。
震災報道一色でこの手法は通用しませんでした。

政策展開も後れを取りました。
黒岩祐治さんは全世帯太陽光パネル設置を打ち上げました。
私はできるできないにかかわらずアドバルーンを上げる勇気はありませんでした。
黒岩さんの脱原発政策に比べて私の政策は地味で見劣りしました。
世田谷区長に当選した保坂展人さんも脱原発一色で勝ち上がりました。
緊急時に有権者の心をつかむには蛮勇が必要だと思いましたが後の祭りです。

2011年4月10日知事選に敗北してから波乱万丈の12年でした。
知事選に続き、衆院選、参院選に敗北。素浪人暮らしでした。
毎朝ご先祖にお茶と線香をあげるのがルーティーンです。
このまま坂道を転げ落ちては顔向けができないと思いました。
どんな苦境に会っても立派に生きることを決意しました。

2015年から4年間日本大学危機管理学部に職を得ました。
亀井静香さんからの紹介があっての幸運でした。
神奈川大学法学部で非常勤講師も続けました。
テーマはまちづくり。これまでの実績を振り返る絶好の機会となりました。

私の波乱の人生は1993年8月5日にNHKを退職した時から始まってます。
衆院選に出て敗北。町長に転じました。
知事選に出て敗北。大学の先生に転じました。
そして今は若い前途有為の地域政治家たちに実践のノウハウを伝えようとしてます。

まだまだ人生これからだとの決意は微動だにしていません。
町を興し国を創るの原点を忘れていないということです。
4月の統一地方選挙が迫ってきました。
燃えてます。
様々な困難に向き合ってきましたので克服の仕方は知ってます。
若い政治家の力になれると確信してます。