元政治家が選挙応援する深い訳
統一地方選挙後半戦の市町村長と議会の選挙の投開票日です。
身近な選挙ですのでガチンコ勝負になりがちです。
怨念が残り一回選挙をやると3代たたるなんてことも言われます。
選挙で受けた怨念はそう簡単には消えないという意味です。
私の父親は最初の町長選挙で7票差で勝ちました。1963年のことです。
35年後に町長選挙に私が出た時、父親の選挙の記憶は残ってました。
父親の選挙で反対した方が私にも反対ということではありません。
時間の経過とともに有権者の判断には変化がありました。
しかし選挙に打って出ると長期にわたる怨念を覚悟しなければならないと実感しました。
応援する場合も覚悟が必要です。
私のように自分が過去に選挙に出た経験を持つものは特にそうです。
過去に応援したのに反対に回る場合がいちばん極端です。
すさまじいばかりの反発を招きます。裏切り者と罵声を浴びせられます。
それでもその姿勢を貫くのはそれ相当の決心が必要です。
当面の批判に加え3代の怨念も引き受けなければならないからです。
私は前回の開成町長選挙で同志の府川裕一開成町長とたもとを別ちました。
今回の町長選挙で無投票当選した山神裕さんを支持しました。
天下の悪者となった感じでした。
府川町長側からは悪の権化とされるのは当然です。
府川町長に反対していた勢力からも寝返ってきたみたいな違和感をありました。
この状況をやり過ごすのはけっこう大変です。
自分の決断について確固たる信念がなければ耐えられません。
府川町政を継続していては町の将来に禍根を残すとの揺るがぬ確信がありました。
残念ながら山神さんは32票差で敗れてしまいました。
しかし判断は間違っていなかったと今でも思ってます。
前途有為の人財を世に出すお手伝いはできたからです。
小田原地域を中心に発行している「神静民報」という郷土紙があります。
コラムで私のような元政治家たちがいまだ選挙の舞台で踊っていると書いてます。
今回の選挙で意中の候補者の支援に回っていることを取り上げてます。
年齢を重ねているのにお元気なことだという皮肉めいた論調でした。
論評は評者の自由です。
しかし安直な覚悟で踊っているのではないことは知って欲しいです。
怨憎まみれの選挙をくぐり抜けた者が怨念覚悟の行動に打って出るのです。
後ろ指指されようとも旗幟鮮明にする覚悟を軽く見られるのは心外です。
その覚悟に見合う深みのある記事を世に問うて欲しいものです。