早瀬利之著『満州国境最前線の旅』
私の仕事部屋には強力な侵入者がいます。
幼稚園年少組に入ったばかりのボクです。いたずらし放題です。
めちゃめちゃにされることが悪いかというとそうでもありません。
探していた資料が見つかったりするからです。
偶然なのか必然なのか不思議です。
そんな不思議な体験をするいちばんの場所は書店です。
驚くような出会いがあります。
先日小田原駅ビルの書店で時間つぶしをしてました。
文庫本コーナーで平積みの本の表紙を眺めていました。
「満州」という文字が目に留まりました。
「満州」とか「シベリア」という文字を見ると反応してしまうのです。
父親が旧帝国陸軍の軍人で旧満州(中国東北部)のソビエトとの国境を守る大隊長だったからです。
早瀬利之著『満州国境最前線の旅』光人社NF文庫の最新刊でした。
この出版社は軍史関係の書籍の専門出版社です。
ひょっとするとという直観が身体を抜けました。
父親が勤務した孫呉のことが書いてあるのではないかと思ったのです。
大当たりでした。
一度は訪れてみたいと思っていた孫呉の様子が載ってました!。
最終章の第14章「孫呉から北安へ」とタイトルがついていました。
孫呉駅と孫呉駅前の現在の写真が掲載されていました。
1945年8月9日から4日間の戦闘の記録が記されていました。
「孫呉の基地は在郷軍人や朝鮮人など3万人の親切の混成師団だったが四日間にわたって良く戦った。戦死者は千二百名、うち朝鮮人の兵隊が3百名戦死した。」
「関東軍の中で最後まで戦ったのは精鋭の第一師団が抜かれたあとに新設された混成師団孫呉の第123師団だった。日本の建設会社大林組が築いた強固な陣地はソ連軍の銃砲に耐えた。既に戦力は空っぽ同然で罪業の軍人朝鮮人で編成され中隊長は少尉という劣悪な師団だった。」
「第123師団が四日間戦ってソ連軍を食い止めている間関東軍の指令部は十六日正午大本営からの命令を受領した。」
戦闘中止の命令でした。
第123師団大隊長が父です。
文章に父の名前は記してありませんでしたが誇らしい気分にさせてもらいました。
しかし戦死者とその後の悲劇を思うといたたまれません。
シベリア抑留です。
ソビエトは日ソ中立条約を一方的に破棄し侵攻した挙句に収容し強制労働させたのです。
ソビエト、今のロシアという国の残忍な体質に言葉を失います。。
仏壇の父の写真に向かい著書の報告をしました。
78年前の夏の父の姿が垣間見えたような気がしました。
合掌