私にとっての大江健三郎さん
3月3日ノーベル文学賞作家大江健三郎さんが死去されました。
NHKでドキュメンタリーが再放送されていて連休中見ました。
1994年12月のノーベル賞授賞式に参加した記録がひとつです。
知的障害のある長男で音楽家の光さんも一緒に同行しカメラは追いかけていました。
世界のメディアの注目度が高かったことには驚きました。
もうひとつは100年インタビューという2010年の番組です。
NHKの渡邉あゆみアナの表情が印象に残りました。
熱烈な大江フアンのように思いました。
憧れの大作家の話を伺えている喜びが伝わってきました。
大江さんはインタビューの中で村上春樹さんを高く評価してました。
既にハルキストと称される熱烈な読者を世界中で得ていました。
私は一冊も読んでないのでその魅力はわかりません。
大江さんは小説の舞台となる都市の選び方や描きかたに着目されてました。
読者を作品にいざなう効果があるということでした。
わが家にも大江作品けっこうあります。積読でした。
『奇妙な仕事』『飼育』『見る前に跳べ』『万延元年のフットボール』などなど。
学生の頃、鮮烈なデビューを果たした大江作品を読むのはファッションでした。
知的なふりをする道具として買い求めそのままになってます。
今でも印象に残っている大江作品が一冊あります。
『芽むしり仔撃ち』です。
森に閉じ込められた少年たちが自由の王国を創ろうとする話です。
生まれ故郷の四国の森と思われる場の描写が卓越してました。
作品の中身は覚えていないのに森の中を駆け巡ったような感慨だけは今も残ってます。
大江さんには森という原点があるのです。
100年インタビューの中でも森の持つ神秘性を熱く語ってました。
大江さんにとってはで舞台となる場の描き方は極めて大切なのです。
村上さんの都市の描き方を評価するのはここに理由があるのだと思いました。
大江さんは戦後民主主義を大切にする人物として知られます。
特に憲法9条の堅持を訴えてきました。
私には大江さんのこうした理念的な活動を斜に見てしまうところがあります。
からだの髄から湧き出る思いなのか疑問があるのです。
本当は四国の田舎の泥臭い共同体的な暮らしに根っこがあると思えてなりません。
そうした育ちとバタ臭い戦後民主主義は上手く合わない面があると思います。
無理に合わせた借り物衣装ではないかと思います。
頭の中で考えた理念としては尊重できるということではないでしょうか。