9月30日山北町で「地域の関東大震災遺構をめぐる(仮称)」開催

24日足柄の歴史再発見クラブ例会がありました。
関東大震災100年イベントの概要が決まりました。
「地域の関東大震災遺構をめぐる(仮称)」となりました。
9月30日午後山北町生涯学習センターで開催します。

昨年から続けている地域の震災遺構の調査報告が中心です。
県立足柄高校歴史部の皆さんの特別発表も行います。
クラブのメンバーと専門家のパネルディスカッションを行います。

小田原市、南足柄市、真鶴町、山北町、大井町の調査を行いました。
22日は第7回で箱根町の調査でした。
仙石原、底倉周辺(旧温泉村)、旧街道沿い、箱根湯本を回りました。

深い緑に覆われていますので震災があったことを想起するのは大変です。
箱根湯本、旧温泉村の被害が箱根の中でひどく死者107人のうち77人がこの地域です。
箱根湯本では土砂崩れで著名な登山家の辻村伊助さん一家5人が死亡しました。
早川の対岸から現場を眺めると崩れた跡らしき地形がかすかに臨めるだけです。


北条早雲が建立した早雲寺境内には震災の句碑が刻まれています。
山百合も 香焚く皃(ちご)の 頸(うなじ)かな
山百合を幼子に見立て追悼の心を歌ったものと思われます。
明治から昭和にかけて活躍した巌谷小波(いわやさざなみ)の作です。
1923年の大震災から3回忌に当たる1926年に碑は建てられました。

昼食を摂った後時間があったので小田原の片浦、江の浦地域に足を伸ばしました。
調査で注意しなければいけないのは被害がひどかったところに関心が行きがちなことです。
根府川地域で起きた惨劇が有名です。
東海道本線を通行中の列車が土石流で流されました。
地域の死者は400人を超えました。


沢筋がひとつ異なる米神地域でも土砂崩れが発生しました。
77人が死亡した大惨事ですが根府川の惨状に関心は行ってしまいます。
地域には石碑が建てられていることを見てきました。

8月には東京に調査に行く計画です。
3万8千人の死者を出した墨田区の旧被服廠を見ずして関東大震災は語れません。
日本の地震研究のメッカ東大地震研究所も見学したいと考えてます。
クラブのメンバーの大邑潤三さんが歴史学の観点から研究を続けてます。

私たちのクラブは素人と専門家が入り混じってます。
基本は素人の感性を大切にし楽しく学ぶのがモットーです。
その成果を地域に発信することも大切にしてます。
9月30日はちょっとした晴れ舞台です。
皆さんのご来場をお待ちしてます。