神奈川の中の中国、アジア
昨日、中華街の地久門(ちきゅうもん)近くにあるビルの一室で険しくなる一方の日中関係を歴史遺跡を活かして改善できないか意見交換がありました。
呼びかけたのは神奈川県の日中友好協会で活躍されている女性です。神奈川県内に残っている中国関連の遺跡を50ヶ所、リストアップされました。
代表的なのは中華街やその中にある関帝廟です。中国革命の父、孫文の足跡も横浜で残されています。横浜と上海は姉妹都市で記念する施設もあります。
お茶の文化は、鎌倉時代初期に中国宋から入りました。広めたのは栄西、禅宗臨済宗を興し建仁寺を開きました。禅宗も中国から入りました。
小田原には北条早雲が招いた外郎家があります。薬とお菓子のういろうです。祖先は中国です。唐人町という地名も残っています。
徐福伝説もあります。徐福は、秦の始皇帝の命を受けて日本に不老長寿の妙薬を求めて日本に来たと言われ神奈川にも伝説に基づく遺跡が残ってます。
そして禹王遺跡です。4070年前に中国初代王朝を開いた治水の神様禹王を祀った神社が酒匂川のほとりに建てられています。
インターネット上にマップにしようとされています。日本と中国がいかに密接な結び付きを持っていたかがよく理解できると完成が待ち遠しいです。
日中双方の国民がこうした相互交流の歴史をよく認識すれば対立を少しでも緩和できるのではないかと期待します。戦争阻止の一助になります。
歴史を交流の視点から見直すことは中国に限りません。朝鮮半島も東南アジアもインドも同じです。日本とアジアとの歴史を違った視点から見れます。
日本の歴史はただ一国で完結できません。中国をはじめ様々な国との交流によって成り立っています。この歴史を再認識することで友好につなげたいです。
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