職人国家日本の復活

リクルートと聞くと身構えるところがあります。
創業者の江副浩正社長が未公開株をばらまき大事件になったあのリクルート事件です。
濡れ手に粟が現実だったバブル期を象徴する事件でした。

竹下登政権は事件の直撃を受けて1989年4月倒れました。
夏の参院選で土居たか子委員長率いる社会党が圧勝しました。
NHKの選挙報道を担当していて土井さんが「山が動いた」と述べた激動を実感しました。
リクルートと聞くとびくっとする私の心情がわかってもらえると思います。

21日の夜リクルート事件を振り返る番組をNHKが放送してました。
「アナザーストリー」です。
亡くなった江副さんの妻や事件の主任検事の宗像紀夫さんが出演してました。
事件の振り返りには新鮮味はありませんでした。
江副さんの経済人としての姿に私が知らない新事実がありました。

昨年8月に亡くなった稲盛和夫さんの名を知らない経済人はいません。
稲盛さんは京セラを一大企業に育成した後、通信業界に参入しました。
通信自由化の波に乗り現在のAU、第2電電を立ち上げました。

この戦列に江副さんも入っていたのです。
今でいえばスタートアップかベンチャーと呼ばれる範ちゅうです。
稲盛さんは通信事業には先進性が必要だと考え若手を入れたのだと想像します。

野心家の江副さんにとってはまたとない機会でした。
番組の中で妻は大きな野望を抱いていたという趣旨の発言をしていました。
しかし江副さんは稲盛さんから疎まれるようになり外されました。

第2電電が設立されたのは1984年です。リクルート事件の発覚は1989年です。
稲盛さんが江副さんを抱えたまま走っていたら事件の直撃を受けました。
稲盛さんはその後の展開を予見していたかのようです。

稲盛さんが江副さんに語った通告の言葉は「君はまだ早い。」でした。
部下だった方が「目障りだった。」と解説してました。
口八丁手八丁の江副さんの切れ味に危険性を察知したと思えてなりません。
地に根が生えていない軽さと危なっかしさといったほうが良いかもしれません。

リクルートは現在求人情報を扱う大企業に成長しました。
一方世界に冠たる日本のものづくりは陰りを見せています。
稲盛さんは天上でこの現状をどう見ているでしょうか。

私は職人魂をあらゆる分野で取り戻せと叱咤していると思えてなりません。
稲森イズムは上前はねて儲けることに嫌悪感があると思うからです。
だから江副さんを切ったと思います。

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