新人教師に地域の災害史を伝える

足柄の歴史再発見クラブでは開成町の新採用教職員研修のお手伝いをしてます。
毎年夏休みの時期に実施してます。1日午後研修会がありました。
クラブの会長の関口康弘さんは元高校の日本史教師。教えるのはお手の物です。
例年ひとりで対応してましたが今年は私も仲間に入れてもらいました。

参加者は4人で3人が小学校、1人が中学校でした。
開成町出身がひとり南足柄市がふたり小田原市がひとりでした。
開成町出身の先生が幼稚園や小学校で町長さんの挨拶を聞いてましたと言ってました。
私の話しが印象に残っていてうれしかったです。


関口さんが伝えたかったキーワードは“人工”でした。
足柄平野を形成したのは酒匂川という2級河川です。
戦国時代までは人の手で制御されることなく平野部を自由に流れていました。
江戸時代になり平和の時代となって治水工事が行われ流路が定まったのです。

大改修工事を行ったのは小田原藩主の大久保忠世と息子の忠隣(ただちか)です。
忠世はNHK大河の「どうする家康」にも出てくる家康側近衆のひとりです。
関口さんはそんなエピソードを交えながら分かりやすく解説を進めていきます。

足柄平野北部一帯は一挙に穀倉地帯に生まれ変わりコメの大増産となりました。
しかし1707年の富士山の大噴火で暗転しました。
噴火の砂が堆積し堤防が切れ大洪水となったのです。

8代将軍徳川吉宗は幕府の直轄工事で堤防の改修を行いました。
川崎宿の名主経験者の田中丘隅を責任者に抜てきしました。
多摩川の治水で功績があったからです。
元々は農民だった田中を能力重視で登用した吉宗の眼力は賞賛に値します。

関口さんの話を受けて私は開成町のまちづくりは“人工”が特色と強調しました。
小さな町を北部中部南部に3分割し計画的に町を創っていると述べました。
北部は田園中部は住宅南部は開発地でシンプルです。
“人工”の町なので手を加え続けることが安全につながると説明しました。


関口さんの案内で酒匂川の治水の要衝を回りました。
田中丘隅が建てた福澤神社一帯に残る治水遺跡を丁寧に解説しました。
先生方は総合的学習に直結するということで盛んに記録写真を撮っていました。

開成町へ移動しかすみ堤を詳しく説明しました。

大水の時に遊水地になるよう”人工”的に土手が切られている堤防です。
江戸時代のローテクですが現代の想定外の豪雨にも対応してます。
新人先生たちは現地で説明を受け理解を深めたと思います。

 

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