父との闘いからの卒業

育った環境は人の行動パターンに影響を与えます。
ファザコン、マザコンは典型です。ジジコン、ババコンもありです。
高齢の女性にやけに従順と思ったら祖母に溺愛され育ったなんてことはあり得ます。

私は男ですがファザコンタイプです。
背後には常に父の影がありました。
小学生の時からジャーナリストになると決めたのは家から出るためでした。
尾崎豊さんの名曲「卒業」の中の一節。
「支配からの卒業」を真似したようなものです。

1993年8月10日付でNHKを辞めました。
憧れて入った会社をこれほど早く去るとは思いませんでした。
偉い政治家の尻を追いかける政治記者稼業に全く力が入らなくなりました。

先の見通しは皆無。後からこじつけた理由が政治家になるでした。
理屈づけとなった事件が細川護熙政権の誕生でした。
自民党単独政権が崩壊し永田町は熱狂してました。
混沌にかこつけ政治の世界へと飛び込もうと思いついたのです。

決断に至ったのには私の育った環境があるのは間違いありません。
私は軍人上がりで怖い存在の父親に怯えてました。
一方で町長だった父の背中を通じ地域政治を垣間見ていました。
人生の岐路に立った時、逃げきったはずの父の影響力が勢いを増したのです。

ファザーコンプレックスが潜在意識に横たわっていたとしか思えません。
父から逃げていた自分の人生を清算するしかないと思ったはずです。
父と同じ土俵に立つという選択でした。

紆余曲折を経て開成町長の道を私も歩むことになりました。
1984年に父は死に私が町長になったのは1998年です。
14年の空白は貴重でした。
父が生きていたら地元に戻り町長になる選択は考えられません。
親が健在のうちに子を政治家にする世襲が頻繁に起こっていますが理解不能です。
父は敵とまではいわないまでも競争相手だったからです。

結果は大正解でした。
父の凄さも素直に理解できるようになりました。
今なら町長経験者同士の会話が普通に出来そうです。
大学でまちづくりの講義をしているので都合が良いです。
父の時代のまちづくりの点検ができます。

お盆の間、朝晩線香をあげながら父に加勢をお願いしました。
もうひと働きさせてもらいたいからです。
まちを創り国を興すが大いなる目標です。
積極果敢な若き政治家たちが地域政治の場で大暴れするのを応援したいです。

天上の父と力を合わせる協働作業となります。
尾崎豊さんの「卒業」の最後の一節は「闘いからの卒業」です。