戦争の悲惨さを伝えるだけでは平和は守れない

開成町の遺族会は戦争の記憶を後世に伝える様々な挑戦を続けています。
戦争体験者の聞き取り記憶を冊子にまとめるだけでない映像化もしました。
紙芝居や朗読劇のプロデュースもします。


15日開成町でも戦没者慰霊式典がありました。
私も叔父がフィリピン沖で戦死し遺族会の一員ですので参列しました。
式典の後、平和の集いがありました。
役場のホールでパネル展示も同時開催です。


集いでは朗読と映像で作品が3本上演されました。
2本は南足柄市内山に実在した外国人収容施設の話です。
1941年12月日米開戦以後外国籍の外交人は収容されました。


食糧難の時代もあって食べるものは十分に与えられません。
50人の収容者のうち5人が栄養失調などで死亡したということです。
近隣の農家の女性たちが密かにいもなど食料を運びました。
収容者はその食糧で飢えをしのいだのです。


収容されたひとりのイギリス人国籍の医学生が戦後日本に帰化しました。
シディングハム・デュアさんです。
デュアさんは詳細な日記を残していて息子さんが『抑留日記』として出版しました。
日本語と英語、両方の言語で書かれています。


開成町在住の久保田和男さんが実話を絵画にし朗読劇の原画としました。
その原画をもとに南足柄の演劇グループぽぽが朗読劇に仕上げてのです。
コロナの影響で平和の集いが3回中止となったこともあって今回は久しぶりの上演でした。

もう1本は内山地域にあった軍の研究施設の秘話でした。
軍事機密で資料は一切なく地域の住民の伝聞に基づいて話は組み立てられていました。
戦争末期、最新鋭の戦闘機の燃料の研究開発をしていました。
研究所で開発中の燃料が爆発し火災もあったということです。

5月に町長に就任した山神裕町長も参加してました。
遺族会の活動を高く評価してました。
『収容所日記』を英語の教材としても活用を考えたいと述べていました。

私は山神町長とは若干異なる感想でした。
ロシアによるウクライナ侵攻があるからです。
戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えても意に介さない国が現に存在します。

戦争の悲惨さを伝えるだけでは平和を守ることはできないということです。
侵略を断固排除する国民の強い意志と一定の軍事力が必要です。
冷厳な事実を踏まえた平和の集いを検討しなければなりません。
祖国を守るとは何かを実践的に考えることが必要だと思います。
ウクライナの厳しい現実を直視し学ぶことも平和を考える重要な題材です。