大江戸、関東大震災を学ぶ小さな旅

来月1日で関東大震災から100年。
29日足柄の歴史再発見クラブ、メンバー8人で花のお江戸調査に出かけました。


目指したのは日本の地震研究のメッカ、東大地震研です。
出迎えてくれたのは広報アウトリーチ室長の木下正高さんです。
1時間ほど地震研の成り立ちや関東大震災を始め地震の話を伺いました。


地震研ができたのは大震災のわずか2年後のことです。
超スピードで立ち上がったことに大震災のショックの大きさが伺えます。
「地震の学理」という言葉が設立の目的のひとつに掲げられました。
地震研ができ地震発生の理論を研究する一歩が日本で初めて印されました。
今では研究員や大学院生など240人を要する一大研究機関に発展しました。


一番印象に残った話しは地震を点でとらえてはいけないということです。
地震が発生するとマスコミに震源は〇〇と出てバツ印で示されます。
ところが地震は一点で起こるのではなく面的に発生します。
ある一定の地盤が滑ることで地面が揺れます。
発生”域”として示したほうが実態に近く適当ではないかという意見でした。
バツ印で示されると確かに誤解を生みます。
納得でした。

初期の地震計や海底ケーブルに併設されている最新鋭の地震計を見て回りました。
せっかく東大に来たのだからと赤門前で記念撮影。
本郷の有名な和菓子屋、三原堂に立ち寄り買い物しました。


次に向かったのは両国の横綱町公園です。
100年前避難していた住民3万8千人が焼死した場所です。
東京都の慰霊堂で手を合わせ復興記念館に入りました。
無料です。
復興都市計画の展示が興味を引きました。


復興院総裁の後藤新平の復興都市計画のビジョンが模型となってます。
東京駅周辺の模型から現在の姿がほぼ見て取れます。
靖国神社周辺も隅田川公園もです。
関東大震災が東京を創ったとの言葉は大げさではありません。


整然とした街並みを整備する土地区画整理事業が始めて本格的に取り入れられました。
皇居前の千代田通の幅員は73メートル、東京駅前の八重洲通りは44メートル。
東京に本格的都市計画道路が生まれたのはこの時です。


大震災の絵画が多数展示されてます。
小田原の根府川の列車転落の様子が描かれていました。
酒匂川上空の航空機調査の様子もありました。


公園を後にする前に朝鮮人慰霊碑に手を合わせました。
デマが発端で虐殺事件が発生した事実から目をそらしてはいけません。

酷暑でしたが楽しくためになる大人の遠足でした。