禹王、徐福、孫文をーテーマに歴史文化交流
今年いただいた年賀状の中でひときわ異彩を放っていたのは、治水神禹王(うおう)研究会の大脇良夫会長からの年賀状でした。
中国河南省登封市にある夏王朝の二代皇帝が誕生したという伝説の巨大な石の前で15人の日本と中国の郷土史の研究者が拳を突き上げていました。
添え書きとして『エイエイ!ウォー!』と印刷されていました。これから日中の郷土史研究の仲間で禹王を探求するぞという決意表明と受け止めました。
4070年前に成立した中国最初の王朝、夏の最初の皇帝、禹は黄河の治水に功績があり中国では治水神となって尊敬を集めています。
その禹王の遺跡が日本でも全国各地で発見されていることが大脇さんらの調査で判明し、日中の郷土史研究者が一緒に調査するところまできました。
日中両国間の文化が結びついていることを共通認識とすることにつながります。対立が深まる一方の日中関係に一筋の光を差し込む取り組みです。
禹王研究で培ったこうした手法を神奈川を舞台にもっと拡大したいです。格好の研究対象の人物がいます。徐福と孫文です。
徐福は、2200年前、秦の始皇帝が不老長寿の霊薬を求めて蓬莱の国、日本に派遣したとされる人物です。全国に徐福伝説が残っています。
神奈川県では徐福研究会ができています。中心メンバーの前田豊さんという方が『徐福王国相模』という著書を著しています。
当然中国でも調査されている研究者はいるはずです。禹王の研究会のように民間の研究者同士の交流する格好の題材になると思います。
時代はぐっと下って中国革命の父とも言われる孫文も東京、横浜や神戸などに足跡を残しています。犬養毅元総理ほか日本人との交友も深いです。
私が孫文にこだわる理由は1924年孫文が日本を去る前に最後に残した講演が今の日中関係を考える上で決定的に大切だからです。
孫文は当時に日本に対して「西方覇道の手先になるのか東方王道の干城となるのか」と問いかけ、力の政治ではなく王道を歩むべきだと主張しました。
現在の日中両国の指導者こそこの孫文の言葉を噛み締めなければなりません。どちらも覇権を握ろうとするのはダメだということです。
民間の研究者同士がこうした歴史観を分かち合えたら素晴らしいです。中国本国の研究者は難しくても香港には堂々と主張できる研究者がいると期待します。
禹王、徐福、孫文を切り口にして日中双方の研究者が歴史と文化で共通認識を持てるような交流センターの立ち上げに向けて今年は動きます。