地域に奉仕する政治と小さくてもキラリ主義

「自啓共創塾」という塾があります。
元通産相の幹部だった方が「世界のための日本のこころセンター」を立ち上げ主宰してます。
Zoom形式です。
3日の夜塾がありゲストに呼ばれました。

テーマは明治から現代の歴史から日本のこころを探るというものでした。
テキストでは各分野の偉人を紹介してました。

私はその中から福沢諭吉と石橋湛山の2人を選びました。
福沢は私の住む地域と深い因縁があります。
福沢の下の集った若者たちは地域のリーダーとして育ちました。
石橋は戦前の日本の外交方針を批判し「小日本主義」を唱えました。
小さくてもキラリ路線とも言え小さな町の町長を務めた私は惹かれるのです。

廃藩置県で小田原藩は小田原県(のちに足柄県に名称変更)と神奈川県に分離しました。
初代足柄県知事は開明派の柏木忠俊で教育改革を進めました。
柏木のブレーンは福沢でした。

福沢は二宮尊徳の最後の弟子のひとり福住正兄と親交がありました。
福住は『二宮尊徳翁夜話』の著者で箱根・塔ノ沢の旅館の経営者です。
福沢は箱根開発をめぐり助言しました。
二宮尊徳の思想と福沢の合理主義は深く交わっていました。

福沢は箱根に湯治に来ると南足柄市千津島の善福寺に立ち寄りました。
住職が慶応義塾の三田移転に際し世話になった恩人だからです。
地域の前途有為の青年たちが集い福沢思想を学びました。
足柄地域の近代化の立役者の中村舜次郎が代表的存在です。

中村は地主階層の出身で衆議院議員となり地域に尽くしました。
財産をすり減らし家は没落しました。
政治とは地域に奉仕するものとの”井戸塀政治家”精神を体現してます。
日本の地域政治のこころだと思います。

石橋湛山は軍部が主導する路線に真っ向から異議を唱えました。
かいらい国家の満州放棄を主張しました。
道義に基づく国家建設と経済振興が繁栄をもたらすという信念でした。

日本は石橋路線と真逆に進み惨たんたる結末を迎えました。
軍事大国でなく世界に誇れる道義と通商国家を目指した路線は再考の必要があります。
高い志を持ち軍事対立を回避しようとした精神は日本のこころと言えると評価します。
小さくてもキラリ主義と言い換えたいです。