小田原にとって今二宮尊徳を学ぶ意義を考える
世界のための日本のこころセンター主催の勉強会がありました。
「五感塾」と名付けられてました。
現地に足を運びその雰囲気を感じとるのが目的です。
テーマは二宮尊徳でした。
小田原の報徳二宮神社に隣接の報徳博物館と尊徳の生家の近くの尊徳記念館。
28日学芸員の解説を聞きながら見学しました。
大学生からシニア世代まで10数人が参加しました。
主催者より私にも声がかかり同行しました。
二宮尊徳のことばに「いもこじ」があります。
芋を洗うように互いに意見をぶつけて切磋琢磨することです。
私は子どものころ実際に見てますので実感が湧きます。
28日の夕食前に1時間余り「いもこじ」をしました。
私はなぜ今尊徳かを提起してみました。
小田原では小学4年生になると郷土の偉人の二宮尊徳を学ぶということです。
尊徳記念館にその成果が飾られていました。
素晴らしい取り組みです。
しかし本当に学ぶべきポイントは外していると思います。
小田原市民には耳が痛い話ですが言います。
小田原藩はなぜ尊徳を追い出してしまったかを突き詰めるべきだと思います。
1830年代の天保の飢饉の当時尊徳は小田原藩の危機を救おうとしました。
尊徳を登用した藩主大久保忠真がその時死去しました。
小田原藩士たちは尊徳を追放しました。
尊徳の名声が高まることを嫌ったのかもしれません。
自らの地位を脅かされるのを恐れたのかもしれません。
尊徳の改革はとん挫しました。
改革を受け入れることができなかった事実を重く見る必要があります。
まさに学ぶべき最重要ポイントです。
二宮尊徳という立派な人物がいたということを表面的に学んだところで今に活きません。
尊徳の改革が上手く行かなかったところに小田原の病理が潜んでいると思います。
この事実を直視して反省材料とすることの方がはるかに有用です。
変化することを嫌う体質は根強い可能性があります。
尊徳を学ぶことは小田原に宿る体質を再点検することに他なりません。