小田原藩、二宮尊徳追放劇からの教訓
二宮尊徳を知る格好のガイドブックがあります。
吉川弘文館の人物叢書『二宮尊徳』です。
著者は東北大学名誉教授の大藤(おおとう)修さんです。
2015年発刊で二宮尊徳研究の必読本です。
大藤さんは二宮尊徳がなぜ小田原藩から拒絶されたか書いてます。
まずは後ろ盾を失ったことです。
藩主大久保忠真が尊徳の有能さを見い出し抜てきしました。
天保の飢饉後の復興を進めようとした矢先に忠真は世を去りました。
1837年3月のことです。遺言があります。
「幸いなことに領中に二宮なるのが出た。この者は才徳抜群であるので挙用して国の永安を任せれば必ずわが志を達してくれるであろう。」
いかに信頼が厚かったかが理解できます。
当時の小田原藩領内での二宮尊徳の人気は絶大でした。
報徳様と称されてました。
藩の役人を一喝して米蔵を開放させた実績もありました。
尊徳の村の再生手法の柱は「分度」と「推譲」です。
経費を節減した余剰金を貧民救済や再投資に充てるのが基本です。
藩士たちにとって厳しい選択です。
農民上がりの尊徳に仕切られるのは不愉快だったと想像します。
構造的な問題もあります。
報徳仕法を継続させることは領民の藩への反感を助長させないかとの懸念です。
尊徳を担ぎ反乱が起きることを恐れたきらいもあると大藤さんは見ています。
二宮尊徳追放劇を現代政治に照らし合わせて考えて見ましょう。
改革の先陣を切っていた人物の後ろ盾が消えたとたんに反動が生じたということです。
改革者は左遷されるか辞職に追いやられたと言うところでしょう。
江戸時代と現代でいちばんの違いは市民の権利です。
一揆を起さなくても市民の権利が憲法で保障され行動できる時代に変わってます。
改革を阻害する動きが生じたならば市民自ら改革を止めさせないうねりを興せます。
尊徳追放劇は小田原市民の自覚を促す教訓です。
長いものに巻かれるのではなくおかしいと思ったなら行動することのいましめとすべきです。