酒匂川の治水を考える

ふとしたご縁でも思わぬ展開を見せることがあります。
4月かやぶき屋根の古民家瀬戸屋敷で環境イベントが開かれました。
足柄の歴史再発見クラブとして参加しました。
神奈川県西部を流れる酒匂川の治水の話しをしました。

参加者に東京都庁の元女性技官の方がいられ酒匂川視察の話が舞い込みました。
日本河川協会のメンバーで河川文化という機関誌を発行されています。
編集委員会の視察が9日実現しました。


参加者12人で河川行政の経験者や研究者の方々でした。
クラブ側は関口会長ら5人で対応しました。


酒匂川の全景を見ることができる松田山の公園に向かいました。
うっすらと富士山を眺めることができました。
酒匂川が山間部から平野に出た後急激に向きを変えているのがわかります。
酒匂川は江戸時代初期に治水工事が行われ流路を変えた人工の川です。
戦国時代が終わりコメを増産するためかんがい用水をひきました。


酒匂川の治水の要に位置する南足柄市大口周辺の土手や遺跡を見て回りました。
土手を造り河川の水を山の岸壁にぶつけて水勢を弱める武田信玄流の治水方法です。
1707年の富士山の大爆発がそうした治水を崩壊させました。
苦難の歴史とその後の治水を解説しました。

瀬戸屋敷でお弁当の昼食を摂り屋敷を見学しました。
土蔵に屋敷下の地層の標本が展示してあります。
富士山の噴火後の洪水の跡が明確にわかります。


酒匂川の右岸から左岸に水を供給するサイホンと呼ばれる導水管の取水口を見ました。
専門家なのでこうした施設に関心があるのです。
対岸の松田町の三角土手と呼ばれる治水の要衝も見ました。
治水遺跡前の松の木が茂り遺跡が見えにくいのは残念でした。


最後に開成町のかすみ堤周辺と残されている治水遺跡群を回りました。
土手が切れている個所まで降り立ち江戸時代の治水が今も生きていることを伝えました。
2010年9月の大水の時には満水となり遊水地の役割を果たしました。
大変興味深く思われた様子でした。

想定外の大雨が頻繁に起こる今日治水のあり方は再検討の時期です。
かすみ堤に代表される江戸時代の治水に再び光を当てる必要があります。
今回の視察は酒匂川の治水を考える格好の機会となりました。