ドキュメンタリー作家早瀬利之さんの不意の来訪
24日金曜日の昼過ぎ携帯電話の着信に気づきました。
ドキュメンタリー作家の早瀬利之さんからでした。
電話してみると墓参に伺いたいということでした。
旧満州でソビエト軍と最期の激闘を戦った父の大隊の慰霊碑をです。
恐縮しました。
早瀬さんの旧満州の著書が出たことが端緒となりご縁が続いてます。
25日午後逗子から見えられました。
わが家の菩提寺に立つ慰霊碑を参拝していただきました。
碑の裏側に刻まれている戦闘の記録も見てもらいました。
私の自宅で2時間ほど懇談しました。
父が書き残した資料を見てもらいました。
早瀬さんは旧満州の国境を実際に見ていられます。
現地の景色が刻まれていて部隊の配置が理解できます。
あたかも78年前の戦闘の現場を知っているかのように具体的に陣形を語ります。
当時の関東軍の作戦指揮を執っていたエリート軍人の話題になりました。
理論一辺倒で現場を知らない軍人ばかりだったと話していました。
父の大隊の指揮官もそんなひとりだったとのことでした。
現場を知らないと臨機応変の対応が出来ません。
東京からの指令に従うだけになってしまうと嘆いていました。
関東軍の最高幹部たちの気の緩みは許しがたいものでした。
ソビエト軍が侵攻する直前に国境から遠く離れた大連で間隙に興じていたとのことです。
これでは前線の兵士たちが浮かばれません。
父の大隊だけで千人を超える死者が出ています。
憤りの感情が湧きました。
早瀬さんは鹿児島出身です。
西郷隆盛の研究にも余念がなく生き様を詳細に調べていられます。
今の政治家に西郷が残した『遺訓』の最初の頁を読んで欲しいと話してました。
政治家は仕事場に入った瞬間から一切の私利私欲を捨てろと厳命が記された部分です。
自分より能力が上だと思う人物が出たらすぐさま職を譲れとも書かれてます。
身命を賭してひたすら公に尽くし切る精神を訴えている言葉に背筋がしゃんとします。
時代が違うと目を背けてはなりません。