山田太一さんの死去と湯河原の可能性
脚本家の山田太一さんが先月29日に89歳で亡くなりました。
「岸辺のアルバム」、鮮烈な印象が残ってます。
1977年ですから大学生の時でした。
多摩川の堤防が決壊し建てたばかりのマイホームが流されるシーンが目に焼き付いてます。
実際にあった水害の映像が流れたのです。
当時開成町長だった父のひとことも耳に残ってます。
危険なところに家を建てた方も悪いと評してました。
高度成長時代真っただ中で多摩川左岸一帯は住宅開発が盛んでした。
1974年9月台風による洪水で堤防が決壊し住宅19棟が流されました。
堤防決壊は後に裁判で争われ最終的には1992年住民側が勝訴しました。
国は洪水を予見することが可能だったとの判断です。
父の評価とは逆でした。
この災害からインスピレーションを得て「岸辺のアルバム」は作られました。
マイホームの夢を果たした家族の崩壊と洪水で流される住宅が重なります。
家族の思い出を伝えるアルバムが悲劇の象徴としてタイトルになりました。
時代感覚あふれるタイトルだとほとほと感心します。
山田太一さんは湯河原にお住まいでした。
なぜ知っているかと言えば長男が高校の同級生でした。
高校時代からドイツ文学に傾倒ししてました。
学年でも飛び切り優秀で現役で東大に入りました。
山田太一さんの死亡の報道を知り改めて湯河原の力を感じました。
一流の文化人を引きつける魅力があるのです。
今年6月102歳で亡くなった文化勲章受章者の野見山暁治さんも湯河原が制作現場でした。
映画監督の伊丹十三さんの別荘も湯河原で名作「お葬式」の場面に登場します。
作家の西村京太郎さんは終の棲家としました。
一流文化人を引きつける魅力を活かせるのではないでしょうか。
湯河原応援団の結成を呼びかけたらすぐに定員オーバーです。
文化に照準を合わせて町の魅力を発信でき文化のまちづくりが進められます。
講演会と温泉観光をセットにすれば人気を呼ぶのは間違いありません。