かつて国家の重要河川だった酒匂川
神奈川県西部の足柄平野を南北に流れる酒匂川。
開成町内の河川沿いに祖師堂と呼ばれる一角があります。
日蓮宗のお堂が建っていました。
今は広場のようになってます。
治水関連の遺跡が集中しています。
1707年の富士山噴火による洪水後の治水工事を担ったのは田中丘隅です。
丘隅は治水の要衝の6か所にお地蔵さんを配置しました。
そのひとつが祖師堂の広場にあります。
人の背丈を超えるひときわ大きな遺跡が残ってます。
修堤碑です。
碑文は判読が難しいです。
1986年開成町文化財保護委員会がまとめた「開成町の遺跡」という冊子があります。
碑文が解説されています。
明治中期に発生した水害で決壊した堤防の修復工事が1891年に完成しました。
経緯が刻まれています。
驚くのは文章を起草した撰文者です。
高名な漢文学者で二松学舎大学の創設者でもある三島中洲(毅)です。
筆者は貴族院議員の金井之恭で題字は小松宮彰仁親王です。
皇族も加わりそうそうたる面々が名を連ねています。
明治末期の1910年に内務省は国直轄工事対象の65河川を指定しました。
利根川、信濃川、淀川といった著名な河川と並び酒匂川も対象となっています。
修堤碑の撰文起草者らに国家レベルの人物が当っていた背景だとにらんでます。
現在とは酒匂川の位置づけが異なっていたためと推測できます。
足柄の歴史再発見クラブの関口康弘会長が三島中洲の詩をまとめた著書にあたりました。
『詩全釈』第二巻の1285番に酒匂川の修堤碑の建設記念式典の模様が書かれていました。
式典は堤防と関係のある十二の村民が集まり盛大に催されました。
三島が村長に詩を贈り、その詩も紹介されています。
国家の重要河川とされた酒匂川の重みがわかる気がします。
祖師堂周辺の治水遺跡の保存と解説が必要です。
富士山噴火後の修堤工事が完成した2026年で300年です。
このタイミングで祖師堂周辺を治水公園と位置付け保存するのはどうでしょう。