新年の誓いは、不動心としました。

新年あけましておめでとうございます。

「めでたい」とはどんな意味なのか考えたことありますか。
広辞苑には「好み愛したい感じがする」となってました。
「目出度い」「芽出度い」は当て字とありました。


日本人の筋道を説く「新しい道」の杉田廣善さんより会誌の新年号が届きました。
90歳を過ぎ頭脳冴えわたり文章の深みは増す一方です。
日本人に喝を入れたいとの使命感が知力気力体力を盛んにさせているのだと思います。


新年号に「めでたい」が解説されてました。
杉田説は広辞苑が当て字だとする「芽出度い」が本来だとしてます。
深い意味があると言います。

芽が出るためには種がまかれ根が生えないとなりません。
芽は目に見える表面の出来事だと捉えてます。
大切なのは地上では見えない根であるというのです。

目に見える出来事をめでたいとしているだけでは不十分なのです。
本当に大切なことは目に見えないところにあることを自覚すべきとされます。


サン・テグジュペリの『星の王子様』をふと思い出しました。
「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」との一節がありました。

杉田さんは目に見える事象を生じさせた原因に思いを馳せないとならないと言います。
杉田さんによれば天によって全ての筋道、すなわち原因は決められています。
その筋道に沿っていれば全ては円満に収まります。
そうならないのは天の声を聴こうともせず人間が欲望で勝手気ままに動くからです。

天の意思がわかるようになれば良いということになります。
これが難しいです。
私たちは自分に都合の良い結果だけを天意であるかのように解釈しがちです。
天意を捻じ曲げてしまうのです。

杉田さんは逆転の発想を説きます。
天意に全幅の信頼を置くのが大前提です。
その上で全てをありがたく喜んで受け止めろと言います。
自ずと天意がわかるようになると断言します。

天意と通じ合えれば心が揺れません。
不動心が得られます。
今年の目標が見つかりました。

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