能登半島の高齢被災者の忍耐強さと宗教心

能登半島地震から間もなく5週目。
時間の経過は早いです。

依然として避難所暮らしが続いています。
寒さを思うと胸が痛いです。

救援側の疲労も想像を絶します。
被災地全体を忍耐が覆いつくしている感じがします。

テレビで流される被災者の声を聴くといたたまれません。
派閥の解散などよりこちらが最優先だとテレビの前で叫んでます。

能登半島で孤立を余儀なくされた高齢者の声を聴いて背筋が伸びることがあります。
受け答えが立派としか言いようのない方が時にいられます。

特に高齢の女性の方に感じます。
はっきりと感謝の気持ちを伝えられます。

生きるか死ぬかに直面した後なのにその語り口調は落ち着いてます。
炊き出しやお風呂の支援にしみじみとお礼を言われます。

宗教めいた言葉になりますが後光が差している印象を受けます。
仏様のようです。

能登半島地域に住まれている高齢者の精神性というか風土の違いを感じてなりません。
宗教心が篤く日々の暮らしを律するよすがになっているような…。

北陸地方は浄土真宗が盛んな地域です。
親鸞聖人の教えを深く心に刻んだ歴史があります。

戦国大名たちは真宗の門徒たちの結束に手を焼きました。
加賀の国現在の石川県の一向一揆は1580年織田信長に鎮圧されるまで100年続きました。

加賀の国と隣接する能登の国においても真宗の影響は深いです。
篤い信仰心に裏打ちされた忍耐力と結束力が今なお息づいているのではないでしょうか。

宗教と災害とは無関係のように考えがちです。
実態は全く違います。

洋の東西を問わず大災害が起こるたびに宗教施設は災害救援拠点となっています。
宗教と災害を幅広く掘り下げる必要があります。

宗教学の重要テーマと位置づけられます。
とりわけ宗教性と災害への対応力の関係は大いなる探求の対象です。

ごくごく普通の高齢の女性たちが示す神々しさの背後に根付く何かを知りたいです。
現代日本人の忘れ物を呼び覚ましてくれるように思います。