酒匂川の1級河川転落の謎に迫る

神奈川県西部を流れる2級河川の酒匂川。
県管理に格落ちした謎が徐々に解けてきました。

1910(明治43)年内務省の直轄河川が選定されました。
酒匂川は65河川に選ばれたことはブログですでに書きました。

神奈川県に関連する河川は多摩川と鶴見川と相模川と酒匂川でした。
1964(昭和39)年の河川法大改正の時には酒匂川だけが直轄河川から外れました。

謎を解くカギは戦後の大混乱のさなかにありました。
1945(昭和20)年8月の敗戦後日本は巨大台風の襲来が相次ぎました。

日本最大河川の利根川を始め全国各地で水害が多発しました。
酒匂川を始め神奈川県の河川も大きな被害を出しました。

被害の巨大化をもたらした要因があります。
関東大震災です。

揺れが激しかった地域では土砂崩れの発生により河床が上がってました。
戦争遂行の時代でしたので治山治水対策に十二分な財源が回りませんでした。

その状態の時に自然災害が襲いましたので泣きっ面にハチ状態です。
敗戦の年の12月に神奈川県知事に対し意見書が県議会議員より提出されてます。

速やかな砂防工事と河川改修の要望です。
建設省としては全国的被害ですので手が回りません。

なぜか酒匂川は建設省から事業を引き継ぎ神奈川県が責任を持つことになりました。
衆参の国会会議録の中に質疑が行われてます。

河川行政に精通する議員から県管理となったことに疑問が呈されてました。
政治的に決めてならなないという趣旨の発言があります。

県としては酒匂川以外の重要河川を優先したのではないかと推測します。
残された酒匂川は県が責任を持つことで落ち着いたということではないかと思います。

神奈川県はその後酒匂川の上流部に県が主体となってダムを建設しました。
横浜、川崎などの飲料水の需要の増加に対応するためでした。

地域住民のニーズではなく県都横浜を中心とする政策の反映です。
神奈川県西部は犠牲になり続けているとも言えると思います。