世界のオザワ
板垣征四郎、石原莞爾という名前を聞いてピンと来られる方は少数派でしょう。
1931年9月の満州事変の際に中核を担った帝国陸軍の軍人です。
日本軍は満州現在の中国東北部を支配下に収めソビエトの南下を食止めようとしました。
謀略で事変を起し翌年に面洲国を建国しました。
ふたりの名前の内の「征」と「爾」を合わせると「征爾」となります。
こちらの方の名前は多くの人が知っているでしょう。
今月亡くなられた小澤征爾さんの名前のふた文字です。
小澤さんは板垣征四郎と石原莞爾から一文字ずつ取って名前とされたのです。
満州国の建国の理想に共鳴した父親がそうしたのです。
歯科医師だった小澤開作さんです。
満州人も中国人も蒙古人も朝鮮人も日本人も仲良く暮らす理想の国を創るはずでした。
五族共和の理想とは裏腹に実態は日本軍の影響下のかいらい国家でした。
現実を突きつけられ小澤一家は失意のうちに帰国します。
しかし大陸で生活したたくましさは戦後の小澤征爾さんの生きざまとして開花します。
『ボクの音楽武者修行』という本があります。
小澤さんがわずかな着替えとギターを持ちスクーターで音楽修行をした記録です。
日本人にありがちな島国根性とは真逆なスケール感です。
夢を追いかけ実現した小澤さんのDNAには大陸育ちの記憶が刻み込まれています。
小澤さんを追悼する番組が続々と放送されてます。
2002年1月1日のウィーンフィル、ニューイヤーコンサート。
アンコールの「ラデツキー行進曲」。
蝶のように踊るように指揮する小澤さんに促され聴衆は手拍子で応えてました。
昨年9月の長野県松本市の斎藤記念オーケストラ公演。
ゲスト指揮者は映画音楽の巨匠中の巨匠ジョン・ウィリアムズでした。
最後に小澤さんが車椅子に乗り姿を見せました。
粟生野瞬間アンコールで流れたのは映画スターウォーズの「帝国のマーチ」でした。
会場から地鳴りのような歓声が湧きました。
「世界のオザワ」を実感しました。(合掌)