東京・洗足池畔で日本の将来を憂うる西郷と海舟
憧れの偉人、勝海舟の墓に始めて向き合うことができました。
27日知人と会う前に東京・大田区の洗足池畔に足を伸ばしました。
墓は妻の民子のものと並んでありました。
豪勢というつくりではありません。
となりにもうひとりの憧れの偉人西郷隆盛の留魂詩碑があります。
1879(明治12)年海舟が建立したものです。
西郷は2年前の西南戦争で自刃してます。
海舟は逆臣となった盟友の名誉回復に尽くしました。
海舟が選んだ西郷の詩は西郷がひとり離島に囚われの身となった時のものです。
人の生死は天命と覚悟を決め生きている限りは天皇に尽くすとの想いが刻まれてます。
解説の看板が目に留まりました。
「維新の両雄はいまなお相並んで我が国の将来を見守っています。」となってました。
昨日から政治倫理審査会の審査が始まりました。
あまりに情けない日本の政治を両雄はさぞかし憂いていることでしょう。
海舟は富士が見えるところで土に還りたいとの願望を持っていたとのことです。
洗足池畔をこよなく愛していたこともありこの地が墓地に選ばれました。
池畔に大田区立勝海舟記念館があります。
海舟没後に建てられた旧清明文庫を改修したものです。
海舟の一生が辿れます。
全国各地の海舟の足跡の情報を求めていました。
小田原で海舟に可愛がられた姪の墓があることが郷土史の会誌に載りました。
こうした情報はどしどし記念館に届けたらどうかと思いました。
東急池上線の洗足池周辺地域は落ち着いた雰囲気が一帯を覆ってます。
高い建物がありません。
大田区が3.5ヘクタールを風致地区に指定し10メートルに高さ制限してます。
高層建築ではなく池の周囲を樹木がランドマークとなっていて落ち着きをもたらしてます。
由緒ある神宮のイチョウ並木の伐採が批判を浴びてます。
関係者は洗足の景観を見て欲しいです。
一度伐採し高層建物を建ててしまったら元に戻すのは不可能です。
守ってきた景観の破壊は天を恐れぬ行いです。